お弁当はただ空腹を満たすだけのものではない。

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 先日、Facebookでの友人の投稿に、日常の小さな事にささやかだけど確実な幸せが書かれてあって、それを読んだ私の心もほんわかと温かくなった。

せっかくお弁当を作ったのにお嬢さんが体調不良で学校を休むことになってしまった母の気持ち。

そこには、「せっかく」という残念で切ない気持ちの反面、「子どもがお弁当を食べる様子が目の前で見られた思いがけない楽しみ」について書かれてあった。

 

「いつも、ぱくぱくと美味しそうに食べるのでうれしくなる。今日のヒットは、海苔弁かと思いきや、にんじんのキンピラだそう。包んであった布をたたんで脇に置いたり、ごはんが左に来るようにお弁当箱を向けたりするのも、普段は絶対に見られないことなので、妙に新鮮。」とあった。

ちょっと体調不良。だけど、お弁当は元気に食べられるお嬢さんの光景がそのまま目に浮かぶ。

そして、

「自分のお弁当タイムを思い出すと、やっぱりあれは楽しかったよね。お弁当を作るのは面倒だけれど、あんなに美味しそうに食べるなら頑張って作ろうと思った。」

と。

 

 うんうん、あるある、という友人たちからの賛同コメントに続いて、授業参観に行った時に早弁している我が子が休み時間ギリギリまでお弁当をパクつく姿を見て、あれこそ授業参観での一番の見どころだったというコメントも。

あまりにもありがちな学生生活のワンシーンが切り取られるように書き込まれてあり、そして、どれもこれも子供達のそれぞれの生活が目に浮かんできて楽しくなる。

そして、重ねられるのは自分の昔だったりして。

 

 

今思い起こされる、お弁当にまつわる幾つかの思い出。

娘へのお仕置きで、2段弁当の上下段ともに白米ご飯びっしり詰めておかずなしのお弁当を渡した事があったな。

約1週間くらいそんなお弁当を渡し続けた。(正直言って、あれは作る側としてすんごい楽だったぞ。)

あの時、娘はどういう気持ちでお弁当時間を過ごしてたのか改めて聞いてみたけど、娘はその事自体ほとんど覚えてなかった。

お仕置き効果は全く効いてなかったって事だな(笑)

 

他には、お弁当箱に詰めるオカズが足りなくて隙間ができて困った時、アルミホイルをただ丸めてパッキン代わりに詰めた事もあったっけw

帰って来た息子にどうしたか聞いたら、何か入ってるんだと思ってホイルを開けたけど何にもなくて驚いたって言ってた。笑。

「ハズレ」ってメモでも入れとけば良かった(笑)

 

これは私の母が当時高校生だった兄に作ったお弁当の話。

いつもはご飯にパラパラとふってある黒ごまが、その日は、大きく「バカ」と読める様にふってあった。

母はわざわざ私を台所に呼び出して「これ見て、お兄ちゃんのお弁当。」とイタズラっぽい顔で笑いながら見せてくれたっけ。

あれ、今思い出しても笑えるけど、お兄ちゃんはフタを開けた時、どんなだったんだろ。

 

いろいろ、出てくるもんだ。

 

改めて、娘は普段どんな風にお弁当を食べているのか聞いてみた。

「うーん。早弁するときもあるよ。お腹空いちゃうもん。休み時間、8分しかないけど、食べちゃう時は食べる。3分の2位?食べるかも。1分で教室は移動できるし。」

休憩時間8分で早弁。それって、すごい早食いじゃね?と思いつつ、お昼に食べるお弁当がなくなっちゃったらお昼休みはどうするの?と聞けば、

「お昼休みは、友達と遊びに行く。」と。

女子高生のお昼遊びって、一体何するんだ?

「バドミントンとか、テニス。こないだはラクロスやった。ラクロス、私は受けるのは得意だけど、投げるのは苦手。バーンってボールを叩き付けちゃうんだよね」

 

どれもこれも、何気ない日常。

それでいて確かな安心感に裏付けられた幸せがしっかり潜んでる。

当たり前な事だけど、日常生活の中にはいろいろな事があるよね。

楽しい事ばかりじゃない。

でも、みんなそれを繕ったり、他の楽しい事で和らげてみたり、思うようにならなくて片付かない気持ちをどうにかこうにか心の中で収拾つけてみたりする。

そんな日常を区切る一つのリズムが、お弁当だとしたら。

出来上がったお弁当を布で包んでランチバッグに入れて手渡す時、それは、ただ空腹を満たすためだけのお弁当ではない、大事な時間を彩るお守りを贈ってるんだなと改めて思った。

うんうん。

こうやって、気持ちや思い出のバトンが繋がれていくんだもんね。

お弁当、面倒だけど、やっぱりあと少しだけ頑張ろうかな。