与える事が出来る人は素敵だ。そして赤ちゃんは神さまだ。
何かを与える事が出来る人って素敵だなって、思った。
与える「何か」は、大きなモノでなくて全然構わない。
ただ、自分がその時に持っているものから、自分以外の誰かや何かに気前良く、見返りなしに、自然に差し上げられるモノを持っている人。
そう言う人は、本当に素敵だ、と、思う。
そういうモノの頂点は、赤ちゃんや小さい子どもの笑顔かなぁ。
赤ちゃんや子どもには邪念が全くないからね、あんなにプレシャスなモノを惜しみなく周囲にふりまいちゃう。
あんまり無邪気なもんだから、ど真ん中に受けとっちゃったりすると、こっちは最高にハッピーになれる。
同時にジブンてヤツが恥ずかしくなってしまったりする事もあるんだけど(笑)
哀しいかな、大人になってしまった私たちには、そんな邪念のないモノを差し出せるような事は少なくなってしまっているのだけれど、でも、人が何かに本気で一生懸命になっている姿からは、大きな感動を受けとることが出来る。
人は感動すると、素直になる。
私は、そう思っている。
そして、素直になると、人は自然と前向きに何かをしようという気持ちになるんだと。
だから、大人になってからは、人は一生懸命本気に何かをすることが、人に幸せをもたらしたりするんだろう。
いやいや、そんな「壮大な」話がしたいのではなかった。
シェアハウスにいると、いろんな人の個性が生活空間の中で交ざり合うわけで、メンバーが変わると、何かが必ず変化する。
見えない化学反応が起きているんだと思う。
草花が好きな人が入居されて、ちょっとしたコーナーにグリーンが飾られるようになったり。
健康に意識が向き始めた子がグリーンスムージーを作っていて、たまたま近くにいたら、どうぞと言ってお裾分けしてくれたり。
それぞれが、好きだったり得意だったりする事を、他の人に自然に差し出す事が出来るって、幸せだからこそ出来る事だと思う。
それは、とても素敵な事だ。
何も、モノに限らずとも、気持ちよい挨拶とか、気遣いとか、ちょっとした時の笑顔とか。
何かを無意識にボロボロこぼすように、誰かに分け与えて生きていて、気がついたら、それが実は良い事だったりする、そんな生き方ができたらスゴいなぁ。
そういう人が、もしかしたら、かみさまなのかもしれないな。
あ、そうか!
だから赤ちゃんはかみさまなんだ!
やっと、わかった。