「決める」と「変わる」も慣れの一つ
江ノ島から腰越へシェアハウスを変えて2週間。
今回のシェアハウス間移動と1年前に始めたデュアルライフに踏み切った2つの出来事で、ふと気がついた事がありまして。
というのは。
今回の急な引っ越しを終えた時、何人かの方から
「江の島のシェアハウスで、何かイヤな事があった訳じゃないんでしょう?
江ノ島がイヤだった訳でもないんでしょう?」と聞かれたのですよ。
そして、ちょうど一年前に私がこの生活を始めた時にも、
「え?もしかして、べ、べ、別居???」と多くの人から不安そうに聞かれたことも思い出したんです。(アレコレ遠慮して実際は何も尋ねない人の方がずっと多かったけどw)
去年のデュアルライフに踏み切った事も、今回のシェアハウス移動も、私は自分のいる場所がイヤだったからそこを出た訳ではなく「外に出る」方がもしかしたら良いのではないかと思ったからやってみたことなんですけどね。
この2つの質問から共通して考えられたのは、どこかを去って別の場所に行く時の理由って、「イヤな事から離れるため」が多いよね、と言うこと。
というか、普通、今いる場所が居心地よい時って、敢えて自分から進んで変化を求めないですもんね。
もちろん、私も多くの場合、そのような行動を取ってるな、と。
例えば、近所の駅へ行く時も同じ道を通るし、スポーツジムでも同じロッカーを使うし、通っているお教室では同じ席に座ったり。
だって、何かを決めたり変えたりすることって疲れますもん。笑。
でも、普段の小さな事からこういう行動パターンを取っていると、大きな決め事の時に不慣れな方を選ぶのはとても勇気とエネルギーが必要な事になってしまうんだよなぁ。
そこでふと思い出したのが「out of my comfort zone」という言葉で。
数年前に、玉川大学学術研究所の難波克己先生から、心の教育実践センターのワークショップで教えてもらった言葉。
これは、自分が立っている場所を
1、Comfort Zone(居心地の良い楽チン空間)
2、Stretch Zone(ちょっと背伸びする頑張り空間)
3、Panic Zone(自分じゃ対応しきれないムリムリ空間)
の3つに分けて考えること。
Comfort Zoneは、その快適さゆえに一見安心と思われがちだけれど、摩擦の少なさ故に進歩や学びへの感度が落ち、結果として環境の変化に適応できなくなったり不安定な状態に置いてしまうのだそうです。(しかも、そもそもこの世界って変化が激しいですしね)
そして、2番目のStrech Zoneで人は一番成長するとのこと。ここは別名「Growth Zone(成長空間)」「Learning Zone(学習空間)」とも言われるそうで。
今回の「江の島から腰越への移動」は、まさにこの「Comfort ZoneからStrech Zoneへの移動」だったんだよね。
もといた居場所はとっても快適で楽チンで素敵なところだったんだけど、外に一歩踏み出した先は、思いがけない出会いや刺激が得られる素敵な場所だったということ。
いつもいつも「もっと良い事」を「外」に求めて、今いる所を出て行くのが良いと行っているつもりは毛頭ないんだけど、地に足つけて自分の手元や足元にある幸せを味わいつつ(むしろその幸せを味わっているからこそ)勇気を持って外に飛び出すということで得られる事は大きいなぁと、実際に体験してみてじんわり体感していると、そういう感じです。
それにしても。
いろんな多くの事が「慣れればなんとかなるよ」って一括りに言われるけど、「決める」とか「変える」「変わる」っていうのもやっぱり「慣れ」の一つなんだろうなって思う。
決める事に慣れる、変える事や変わる事に慣れる。
その二つに慣れていくと、自分がどんどんシンプルになっていくのもわかる。
何が必要で、何が不要なのか。(最低限必要なものは何なのか)
何に囚われているのか、こだわっているのか。(自分の決断にブレーキをかけるものは何なのか)
自分にとって一番大事なものがどんどん見えてくるし、自分がどんどん楽になるというサイクルも生まれ始めるんだよね。
ついでに言うと、「直感力」も働くようになると言うか。
自分自身、いつもいつもこんな良いサイクルで日常を過ごしてばかりいる訳ではないけれど、出来る限り、自分を信じた「直感」と「行動」のサイクルをぐるぐる回していけるシンプルな自分でいたいなぁ。
改めて、こんな風に思った次第。
難波克美先生のcomfort zoneから始まる考察についての記事については下記をどうぞ