夫「掃除をしなくても死にはしない」家事を家族で共有することの難しさ

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(「ぐりとぐらのおおそうじ」 中川李枝子文/山脇百合子絵)

 

洗濯という家事のタスクも分担され、なんとか日々回っている状況が作り出されているものの、とにかく最後の砦は掃除である。

そもそも掃除なんてしなくても人は死なない。

というわけで、フローリングの隅にはほこりがふわふわと溜まる一方、家全体が薄汚れて行く一方。

そして、生活の中で死活問題ではないからこそ、家の中が荒れ果てたとしても、誰も自分から進んで掃除をしようとしない。

 

ちょっと話は逸れるが、先日読んでいた本に、人間の生活の基本は「衣・食・住」であり、それが体系としてどのような形をとっているかがすなわち「文化」である、と書いてあった。

つくづく同意、である。

そして、これに照らすと、我が家においては「住」に対する文化というものが確立されずに来てしまったのだなと思った。

(そもそも、衣・食において確立されているとも言えていないのであるが) 

 

話を元に戻すが、かく言う私も無類のきれい好きとは言えないと思う。

が、「人並み」に家の掃除をする。

 

 

ちなみに「人並みに」って何なんでしょうね?

とにかく「人並み」がどういうものかなんて誰にもわからないもので、まずオットと私の「人並み」の温度感と言うかモノサシが合わない。

オットは汚れが気になった時に掃除をするというが、言って見れば、私も気になった時に掃除をするわけで。

そして、お互い「気になった時に掃除をする」という非常に漠然とした点ではコンセンサスが得られているものの、具体的な「気になる!」アラームの設定はかなり違う。

不愉快警報はそれぞれのタイミングで発動するのである。

 

そして、さらに息子と娘の「気になる」アラーム設定レベルはさらに多様化する。

彼らにとっては、自分たちが暮らす部屋、食事をする場所がホコリや抜け落ちた髪の毛まみれでも全く気にならないらしい。

 

この「気になる」レベルの差を何としようか。

 

ところで、掃除については、一応、各自の利用頻度が高い場所をそれぞれ責任を持って掃除するという取り決めがなされている。

娘は洗面所を担当し(とにかく髪の毛すごいからね)、とーさんと息子がトイレを、かーさんが全体の様子を見ながら適宜掃除と決めた。

つまり、その場を最も汚していると思われる当事者がその場を担当すると言う考え方でこのようになった。

ただ、全く機能している気配がない。

というのも、結局、私の「全体の様子を見ながら適宜掃除」に全員が依存してしまったという事らしい。

 

ある時、私がクイックルワイパーを使って「結局、こんなに汚れてる訳よ」と言いながらフローリングを掃除していたときの事。

オットが、

「そうやってかーさんが気がついて先回りして掃除をしているから、他の全員にとっては家の中が『問題なくきれいな状態』になってて、みんな特に掃除しなくていいかと思うようになってしまうワケよ。だから、これからは、家の中の汚れが気になってもかーさんは掃除をしないで辛抱してみて。」と言った。

これには私も、確かに一理あるかもと感ずる所があったので、気になっても自分は手を出さないと言うチャレンジをしてみた時期があった。

あれは、明らかに「自分へのチャレンジ」でしたね。

というより、ある意味苦行。

溜まりに溜まった汚れが目に入ってくるのを無視しろとは。

 

ほんと、人間「気がつかない」「目に入らない」ってことがどんなに自分を穏やかで幸せな心情に保つものなのかということを身にしみて実感した。

知らぬが仏。

つくづく、昔の人は良い事を言ったもんだ。

 

そう言えば、その役割分担の振り分けをした時、娘に洗面所の掃除の仕方(洗剤を使いつつスポンジでシンクを洗う、鏡を拭くなど)を教えると、娘が一言「洗面台をこんなにまじまじと見るの、生まれて始めてだわ。洗面台ってこんな形してるんだね」と、ぼそり。

まぁ、そんなもんか、とも、つくづく思う。 

何かについて、自分がそこに関わっていたり何らかの形で責任者でない限り、その情報は入ってこない。というか、そもそも興味関心を持たない。

 

こちらとしては、何でもいいからとにかく機能していれば良しなんですが。

 

そう言う意味では、主婦が家事全般を受け持つこれまでの日本式スタイルでは、子どもが実家で親と一緒に暮らす以上、子どもも家の掃除や洗濯と言った家事仕事について主体的になりにくいし、家事を自分ゴトとして捉えきれないものかとも思う。

 改めて、子どもが大学を卒業したら、さっさと家から追い出そうと思うが(というか、その前に親が家を出ているがw)、とにかく、大事なのは「今」。

 

とにかく、掃除の役割分担が改めて家族全員へ課された一ヶ月後、家の中はどうなったか。

 

もうね、これ、ぜんっぜんダメなワケですよ。

もう、ひどい。全然ムリ。

なんて言うのかな、

あれあれ?みなさん??会議で役割決めませんでしたっけ?って感じ。

 

という空気感のまま一ヶ月が過ぎた11月末の家族会議。

その反省の場(と私は捉えたが)における各メンバーのコメントを下記に抜粋してみますが、こんな感じ。

 

オット:ごめんなさい、次からはちゃんとやります。

息子:結構汚れてるみたいだからやっぱり週2回はやった方が良い。

わたし:家中、すごーくすごーく汚れてました!特に洗面所とかっ!!

娘:掃除?あー、そうだったよね。でも、そもそもしょっちゅう掃除する必要ってあるの?

 

・・・おい!!!

 

というわけで、当月の振り返りと今後に向けての私からの期待を込めた言葉にて閉会。

 

初回のそうじの役割振り分け>かーさんが手を出し、分担機能せず>再度、役割分担の降り直しと12月目標が決まった11月家族会議>イマココ

次回の家族会議は、年末大掃除真っ只の12月29日と相成りました。

さー、どうなってるかなー。

(いや、どうにもなっていない、という、予感。。。)