一家の主婦が単身デュアルライフを始める前に行った家族会議とは
以前、このブログ内で、どういう経緯で一家の主婦である私が単身湘南江ノ島のシェアハウスでデュアルライフを始める事に至ったかという理由をご説明いたしました。
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都内の兼業主婦が、湘南で単身デュアルライフを始めた理由 - 夢の湘南〜東京とのデュアルライフを江ノ島シェアハウスで実現した働く主婦でかーさんのリアルな生活
まぁ、お読みになった方はすでにお分かりの通り、私の家族は、かなーりライトなモードで私のシェアハウス入りに対して「いいよ〜。」と言ってくれた訳ですよ。
でも、かーさんが一人でシェアハウスに入ってしまうって、リアルな現実としてどういう事かわかってんの?えぇ??と、日に日に不安が増す私。
ウチには夜の間に歌いながら靴をトントン作ってくれるような親切なコビトさんも、気がついたら洗い場の食器を全部ピカピカにしてくれるような妖精さんもいないのに、かーさんがいない間、ご飯とか洗濯とか掃除とかを「誰かが」しなければならないっていうリアルな現実にヤツらは気づいているのだろうか。
ちょー不安。
実際、これまでも私が短期の旅行などで家を不在にすることはよくあったけれど、旅行の間の食事は事前に用意して出かけていたし、また、旅行から帰宅すると洗濯物は山のように溢れ返り、家は薄汚れている有様。
その洗濯物の山を見て「一家の主婦である私が家族を置いて遊ばせてもらったんだから感謝して、留守の間の洗濯くらいしなくちゃね♫」とかいう気にはなかなかなれず。。。
旅行に行けるのはとても有り難くて楽しい事だけどなんか違うなと感じつつ、贅沢を言っているのは百も承知で「洗濯くらいは出来るはずなのにな。それ位代わりにやってくれてたら帰ってきた時にとっても嬉しくて、翌日からやる気もパワーもすんごく出るのに。あぁ、やっぱり、自分は女中のような存在なんだ。」と思っていました。
ということは・・・。
このままでは、私が江ノ島に行く前には、不在時の食事の作り置きや準備をしておかないとならない。
そして、江ノ島から帰ってきたら、家には洗濯物が山積みになり、食器も家の中も汚れたままってことになりかねない。
それじゃあシェアハウスに入っても、私の気持ちは全然解放されない。
どげんかせんといかん。
前提として
まず、我が家が、家事全般をどう分担していたかについてですが、基本的に、決まっている家族間での家事分担はほぼゼロ、つまり、主婦である私がほぼ全てを請け負っていたと思います。
下の子どもが1歳になった時に週に数時間程度のアルバイトを始めて以来ずっと何かしらの仕事をしてきた私ではありましたが、基本的に軸足は家庭。
家庭のライフスタイルに合わせて私が自分の働き方を変えてきました。
これは、リベラルに見えて中身は思い切り昭和の思想を背負っているオットと、昭和ヒトケタ生まれの専業主婦の母に育てられた私の関係性から考えると、「オットは仕事をしてヨメがおうちを守る」のは、自然な成り行きだったかと思います。
だって、2人の間に、これからの新しい生き方として目指すべき参考になる共通のロールモデルが全くなかったんですもの。
そこから考察すると、先に書いた様に、旅行から帰って山積みの洗濯物を目にして自分は女中以下の存在だと悲しんでいましたが、多分それは、私の被害者意識が強かっただけで、そもそも家族の意識の中に「〜〜の家事は自分がする」という意識が刷り込まれていなかっただけなのではないかと思います。
今回のデュアルライフは旅行の延長ではない!
そう、そして、今回私が実現したいと思っている事は、単発の旅行の連なりではない。
求めているのは全然それではないし。
週の半分とは言え、かーさんは湘南・江ノ島で新しい生活を始めるのである!
このデュアルライフを快適な形で実現する為には、何かを大きく変える必要がありました。
それはシンプルで、我が家においては「家事を分担する」ということ。
なので、ある時、それをオットに伝えてみたのですが、オットは、それに対して何かを考えている風ではあるものの「うん」とも「ううん」とも言わず、一向に動く気配もなく。。。。
あーもう。
確認したい。
あれどうなってるの?って詰め寄りたい。
でも、他人(特に私)に、次にやる事をアレコレ言われるのを非常に嫌うオット。
こっちから「あれどうなった?」とか突っつくと機嫌が悪くなるので(ある意味、子どもか?)心中ヤキモキしながらも放置していた。
そんな時、家族のLINEグループにメッセージが入った。
「かあちゃんが、今週土曜から江ノ島のシェアハウスに引っ越しするので、ごはんの用意、片付け、洗濯、干し、たたみ、各部屋の掃除、共用部の掃除、ゴミ出し、などの役割について改めてみんなで話し合いたいと思います。よろしくお願いします。」
わたし、思わず、返信第一声「すごーーーー」と返してしまいましたよ。
(ちなみに、引っ越しはGW真っ最中の5/3土曜日。このメッセージが流れたのは5/1の木曜日。それにしても、ちょっとギリギリ過ぎですよね??)
ちなみに、我が家における「家族会議」は基本的に不定期開催で、誰かの環境が大きく変わる時や、何か問題が起きた時などに随時開催してきました。
例えば、
・子どもが小学校から中学校、中学校から高校に進学したとき
・オットが単身赴任生活で家族が別居生活を送ることになったとき
・息子の大学進学先について親子間で話し合いが必要だったとき
・娘があまりに散らかして片付けないので家族全員からのクレームが発生したとき
・娘が小学校時分に通っていたスポーツチームを辞めたいと言い出したとき
などなど。
子どもたちの年齢には関係なく、親も子どもも、自分はどう思うのか、どう決めるのか、決めるなら他のみんなはどうするか・・・について、出来る限りフラットに話をしようとしてきたように思っています。
ところで、オットはどういう心境で「家族会議開催の仕切り」をしたのかについて聞いてみました。
なぜなら、以前のオットだったら今回のシェアハウス行きについても、「行くのはいいけど、食事の準備はして出かけてよね。他の家の事も、ちゃんとやってから行ってよ。」というモードのはずだからです。
すると少し驚いた事に、オットと私との認識のズレが発覚しまして。
最近になって時々オットは家事を手伝ってくれてはいたのですが、それはそもそも「やってあげる」とスタンスではなく、「自分からやりたい」という気持ちに変化していたとのこと。
私にとってオットの家事への関わりは、気付いたから手伝ってくれてるんだろうなーという程度の認識でしたが、実は、オットにとって「家事というものは、家族みんなで分担した方が良い事と次第に思うようになってきていた」と。
確かに振り返ってみれば、ここ1年くらいのオットの行動は、週末にご飯を作ってくれたり、朝の洗濯物干しを日常的にするなど、いろいろ変化していたように思う!
これ、オットの変化にもっと早く気づけよ!という意見もあると思いますが、長年積み重ねられた「思い込み」や「レッテル」というのは根強く根深いものなんですねー。オットは家事や家の事を全部私に任せっきりの人だという私の思い込みが、目の前の変化や事実を見えなくさせてしまっていたのだと思います。
つまり、ここでは深く言及しないけれど、オットは、たくさんの方との出会いやいろいろな出来事による気づきにより、これまでの自分の態度を悔い改め、改心していたのでありました!!(これ、すごい事です!!!ぱちぱちぱちぱち。)
そんな流れから、オットから主体的に出された家族会議カード!!
私は、オットのリーダーシップに心の中で「良かったー」と、まずは胸を撫で下ろしながらも、どんな話し合いになるのかなーと思いながらの家族会議の夜。。。
家族会議始まる
全員が席に着き、さぁ話し合いを始めましょかといった時、なんと「息子」が
「決めなきゃならない事は、ゴミ出しと、掃除、洗濯、あと食事だよね。じゃぁ、お母さん以外にその分担を割り振って行けばいいんだよね。」
と口火を切った訳です。
そして、
「早く決めようよ。○○(妹名)、このカレンダーに分担を書き込んでって。」
と、仕切った訳ですよ、その場を。
これには、私は本当に驚きました。
いやもうね、そうそう、その通りなんですよ。
全くその通り。
早く決めよう。
普段から穏やかで自分の意見を滅多に主張せず「それでいいよ」とか「大丈夫」が口癖で「事なかれ主義」と感じる部分が多かった息子でしたが、高校3年の時に体育会のキャプテンだったのが良かったんでしょうかね、チャッチャと仕切ってくれる訳ですよ。
「家族会議をさっさと終わらせたかった」というのが彼の本音だったとも思えますが、とにかく、決まった分担がコレ。
燃える妹、燃える兄、リサイクル父・・・。
リサイクル父って、笑える(笑)
最後の難関、ご飯を作るのをどうするか
さて、ご飯をどうするのかという大きな問題が残りましたが、割り振りとしては、
・5月中については、諸事情によりかーさんが東京にいる日が少ない事などから、とにかく全ての日の夕飯当番をかーさん以外の誰かが担当する。
・もし、結果としてかーさんが夕飯を作ることが出来る日は、かーさんが担当する。
(当番予定だった人は、当番免除。ラッキー。)
という事になりました。
次に、
・なにを作る?
・どう作る?
が問題になるのですが、子どもたちは今更ながら「ムリー」と言い出し…
ムリって言うなよ、ムリって。
自分たちでなんとかしなさい。
と突き放す訳にもいかないので、少し丁寧に手引きしました。
つまり、子どもたちが「夕飯」として思い浮かべるイメージ=かあさんが日々作る夕飯となりますが、それって当たり前にムリ。
だって、それは、かあさんの苦節20年間に及ぶ主婦生活の大成によるメニューですから。
そして、私が結婚当初にしたマンガに出てくるような数多くの失敗(砂糖と塩や醤油とソースを入れ間違えから始まって、辛過ぎ、甘過ぎ、丸焦げ・・・)を語り、それでも美味しいものが食べたいと思っているうちに、少しはマシな料理が作れるようになってきたと言いました。それに、美味しいものを食べて育った人は、いつかは必ず自分でも美味しいものを作ろうという気になるはずだから、と。
なので、まずは、「夕飯」のイメージを壊してみることに。
夕飯=主食とおかずや汁物が全部揃った定食メニューに限らず、
・たらこスパゲティ
・オムレツとトマト
・ご飯+納豆卵(+インスタントお味噌汁)
など、彼らがすぐに作れる手持ちメニューも十分に「お食事」である、ということです。
(ご飯と納豆卵は、さすがにちょっと朝食っぽい感じもするけどw)
そして、例えばたらこスパゲティも繰り返し作り続ければ、やがてたらこスパゲティのエキスパートになるし、いずれ自分でも飽きが来るので他のメニューを作ってみたくなるでしょう。その時に、新しいメニューを開発していけば良い、という事。
それに、大前提として、かーさんは全くいなくなるわけではなくて、週の半分は家にいるのだから、わからないことは聞けるし、場合によっては一緒に作って新しいメニューを覚える事が出来るという事。
だから、夕飯の準備について重く考えて気負う必要はなく、まずは自分が作れるものを好きなように作るところから始めようという結論に至りました。
このように、オット、息子、娘の3人が掃除、洗濯、食事の準備といった家事を担当する事になったのですが、当然の事ながら、子どもたちには主体性をもって家事に取り組むという姿勢はまだありませんでした。でもまぁこれは致し方なし。
ただ、オットはどうやら主体的に動いてくれそうで、それは本当にありがたかった。
それにしても、こうでもしないと(かーさんが強制的に家事をしなくなる状態になるということ)家族で家事を分担するのが難しいのは、一体どういう事なんだろうって、ちょっと考えてしまいます。(我が家だけの事かもしれないですけど・・・)
一つには、 夫婦のそれぞれの生い立ちの影響も大きいですが、子どもが家事を分担する事については、「日本の子どもは忙しすぎる傾向にある」気もしますよね。
日々の通学に加えてお稽古・塾などで、子どもが小さなビジネスマンのように24時間動き回っている日々・・・。子どもが中学に進学すれば、入部した部活によっては放課後遅くや週末まで活動があったり。
でも、よく考えると、それってやっぱりどうなのかなとも感じます。
一度始めたお稽古を中断するのはなかなか難しい事ですが、その時々に応じて、お稽古ごとなどの量や内容は柔軟に考え直すことも必要なのかもしれません。
まぁその話は置いておいて。
かくして、一家の主婦であるかーさんがデュアルライフでシェアハウスに入居する事により、東京に残された家族でも家事全般を分担し合うという「シェアハウス現象」が発生することになったのでした。
さぁ、あっちでもこっちでもシェアハウス、なんですが、いざ湘南へお引っ越し、かーさんシェアハウスに入居とは一体全体どんな感じ??というのは次号に改めて。。。
to be continued....