自分の人生が自分らしい道へ進むために必要で大事な最初の一歩について
本日9月10日は東逗子のシェアハウス#910(ここのつとお)の日!
島民(住人)、フラミンゴ(元島民)、島民の友人、そして910の最初からお世話になったメンバーが910の日をお祝いするために大集合してくれました!!!
わーいわーい!!
「久しぶり!」同士のメンバーは頬を紅潮させながら近況を弾丸トークで報告し合ってるし、「はじめまして」メンバー同士も、私がお互いを紹介する必要もないままに自然に笑い合いながら交流してる。
みんなの「とーさん」としてオットがお好み焼きを作ってるそばには、以前ここで暮らしていたフラミンゴ女子たちが近況を報告しにやって来る。
「とーさん聞いて」
「かーさん、ねぇねぇ聞いて」
ピーチクパーチク、ピーピーピーw
そして、そうやってみんなが一斉にピーチク言っているのはとても微笑ましくて、どんなに感慨深い喜びであることか!
まさに「拡大家族」が一堂に会する姿。
見ているだけで心の底から喜びがこみ上げて来ましたよ。
涙です、涙。
この様子を見ながら、私の人生はなぜこんな風に変わることができたのか、自分に一体何が起こったのかと、昔の記憶をたぐり寄せながら思い返していました。
オットとは、一時期は、かなり深刻な離婚の危機に陥り、私は真剣に離婚を考え、同時にこれまでの人生に対する後悔に苛まされ。
当時働いていた仕事も辞めることになり、先の生活に対する不安も広がっていながら。
自分は良かれと思って一生懸命家庭も仕事も頑張っていたはずなのに、全てはうまく行かず、全てに対する絶望と不安感を感じて。
一体どうしてこんな事になってしまったんだろうと言う答えの出ない問いの中で、心も体もこわばって全然動けなかったのに。
そんな状態だったのは、確か2010〜2011年辺りのこと。
それから3年後の2014年の5月には、長年の夢だった湘南暮らしをするために江ノ島のシェアハウスに入居して東京と二拠点生活を始めたので、人生の大逆転が起こったのは2010年から2014年のことなんだよな。
その数年、私は本を読んだりセミナーに参加したりすることで自分を癒し、学びを深めようと努め、本当の自分の幸せは何かを知ろうとしたけれど、一体どう言うプロセスで人生はここまで180度転換することができたのか。
セミナーに参加したり本を読んだりすることは相当前向きで能動的な「行動」だから、実はエネルギーが本当に空っぽの時は、何もできないもの。
でも、行動に移せるようになった経緯を細かく考えると、そこには「友の存在」があったということ。
その友は、すでに終わってしまったことを後悔し、傷ついた自分を責めるばかりだった私の話をひたすら聞いてくれ、丸ごとじっくり受け止めてくれたということ。
それが本当の最初の一歩だったんじゃないかと思うのです。
友人たちは、当時の私を、なだめるでもなく、大丈夫だよと安易に安心させようとする訳でもなく、もちろん「なんでそんなことしちゃったの」と終わったことを否定する訳でもなく、耳を傾けてただそのままじっくり受け止めて聞いてくれた。
人ってそんなに強くない。
そんなに人生ズタボロでも、外に向けては弱音も吐かず頑張ったりするけれど、エネルギーが空っぽの時には、いくら頑張って自分に向き合おうとしたって、そんなこと絶対出来ない。
何かをやっても良いし何もやらなくてもいい。どちらのあなたでもいいんだよ、と、受け止めてもらえる場所があると、人は初めて自由に物事を捉えられるようになっていくんだと、我が身を振り返ってつくづく思う。
だから、そんな友人たちの存在がいかに私を癒してくれたことか。
自分が受け入れられる中で少しずつ傷は癒されいったし、自分は自分のままで良いと少しずつ気づいていったし。
自分の全てを受け入れるようになっていく中で、自分に向き合えるようになって。
そうしてやっと霧が晴れて、自分が進みたい方向も少しずつ見えるようになって来たのではないか。そう思うんですよね。
910の島民たちが910を出て行く時は、
「もう大丈夫です。時が来ました」と言うことが多いんですが、それって十分に癒されたからこそ、進みたい道がおぼろげでも見えてきた。
だからそう言って旅立つ瞬間を決めるんじゃないかって思うのです。
昨日の話の中で、ここで二拠点生活(リトリートステイ)をしていた島民の一人は、「ここではただボンヤリしていただけだったけど、家への帰り道では自然と新しいインスピレーションが沸いてきた」と言っていた。
他の島民は、「ここに来た時は、何もせずにひたすら眠っていた」と言っていた。
別の島民(二拠点生活者)は、「職場では気を張っているし本音も言いづらい、ましてや弱音なんて絶対吐けないけど、仕事の利害関係のない島民には何でも話すことができた。それって家族や友達、彼氏や彼女ともまた違う関係で、だんだん心が開かれていった」と言っていた。
肉親の家族はとても大事な存在だけれど、近すぎて心を開きあうことが難しい時がある。
夫婦関係では、簡単に愛憎のもつれ合いが生まれるし。
子供に対してだって、バイヤスが入った愛情を持ってしまうこともゼロではない。
昔の自分と今の自分、昔の自分の生き方と今の暮らし。
みんなの生き生きした様子を見て、お互いを受け入れ合える関係がベースにある「暮らし合い」にこそ、人生を開く可能性があるんだろうなぁとしみじみ感じた良い時間でした。
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