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父の日に思う事。結局は、受け止める側の問題なんだけど。

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昨日は父の日。

家族のためにいつも頑張ってくれるお父さんに感謝を伝える大事な日。 

そんな日にちなみ、友人が投稿した父の日関連のフィードを読んで少し感じた事から一つ。

 

私の友人に、非常に優しくて子煩悩な3人のお子さんのお父さんがいまして。

3人ともまだ小さくて、上のお子さんはまだ保育園、一番下のお子さんはまだ0歳。むっちゃ、やんちゃ盛り。でも、お父さんとしての彼は、子育てに当たり前に積極的に関わり、私から見てもとても良いお父さんで。

同時に、奥様からもその良いお父さんぶりは実際にとても感謝されているので、家族間や夫婦間でも良い関係が作られているのだろうなと端から見ていて感じられます。

その彼が、父の日に幼いお子さんから贈られたプレゼントとメッセージ。

そこには、小さな手形と共に「おとうさんと くるまで あそびたいな」と書かれてあって。

いやはや、本当に微笑ましいです。(同時に、そんな素直で可愛かった頃が懐かしい)

それに対する彼のコメントは、

「足りてると思うのは俺だけ。飲み会で帰りが遅くなったお父さんは泣きたい。ごめんね。」というものでして。

嬉しくて感動して思わず書いちゃった、との事でしたが、まさか「ごめんね」がここに来るとは!!ここのつ、ビックリしました。

これって、「普段十分一緒に遊んだり、関わりを持っていると思っていたけれど、子どもにとっては、自分の関わり方はまだまだ足りていないのだ!」と、子どもの気持ちを受け止めて「あなたと遊ばずに飲みに行ったりしててゴメンね。寂しい思いをさせてしまってるよね。」というコメントになったのだと思いますが、そこまで子どもに対して真っすぐになれるのって、本当にすごいことです。

(ついでに言えば、20年前のオットに爪の垢でも煎じて飲ませたいw)

 

でもねぇ・・・

ほんと、コミュニケーションって、なんか、難しいですよね。

今回のお子さんからの手紙と、それを受けてのやりとりも「コミュニケーション」の一つとして考えてみますが。

コミュニケーションで大事なポイントって、投げたボールを受ける側が「どう」受け止めるかに全てが任されていると言う事ですよね。

投げた側が、いくら「そんなつもりじゃなく」伝える言葉も、受け止める側が「そのように」感じたのであれば「そう」なってしまうものですよね。

丁寧なコミュニケーションのキャッチボールを繰り返す事でこの「ギャップ」は解消されていくことですが、相手に受け止めて欲しいように、受け止めやすいようなボールを正しく投げる事って、本当に難しいですよね。

 

それで、先ほどのお子さんからのメッセージを、彼が捉えた別の観点から考えてみたいのですが。

お子さんはお父さんとの遊びの楽しさを知っていて、「お父さんと何して遊びたい?」と聞かれたから車で遊びたいと思ったんだろうな、と。

(私が彼の普段の行動を知っているからそう捉えられると言うのもあります)

 

 

子どもが投げたメッセージは「おとうさんと遊ぶの大好き。遊ぶなら車で遊びたいな。」で、おとうさんが受け止めたメッセージは「十分に遊んであげ足りていない。ごめんね。」と感じるこのギャップ。

なんか、いろんな所にコミュニケーションギャップってあるのかもしれないですよね。

 

で、話はちょっと反れますが。

そもそも子どもって、遊ぶことが「仕事」ですよね。

たくさん食べて、たくさん遊んで、たくさん寝る。

それが子どもの大事な仕事。

大人になって「社会的な仕事」をするようになった時でも、取り組んでいる仕事がとても楽しくてやりがいがある時には時間があっという間に過ぎるように、楽しい仕事って実は飽きないもの。

子どもの日常はその意味での楽しい「仕事」の連続で、毎日、体力が続く限り、飽きるまで続けているわけです。子どもと一緒に遊んでると「もっと」とか「もう一回」って必ず言いますもんね。お父さんが自分の全ての時間を使って子どもと遊んだとしても「満足」という時はきっと来ないです。

とすると、お父さんはたくさんの「仕事」の中から、何を優先順位の1番に持ってくるかを悩みながらも決めつつ、2番目以降にしてしまったものに対しての負い目を少しずつ感じながらも「割り切って」日々を過ごすしかなくて、子どもはそれをそのまま「受け止める」しかないんですよね。

先に書いたように、大事なのはいつも「受け止める側」だから、その気持ちを考えながら・・・と言う事だけど、いつも、そうもいかないわけで。

だからこそ、子どもと遊んであげられない「仕事」の時間を、どう過ごすかって大事なんだろうなと思います。

父親が自分で選んだものに対していつもイキイキと「仕事」をして元気で楽しそうにいて「同時にその喜びを家族と分かち合っているならば」(←ココ大事)、家族や子どもも素直に受け止める事ができるようになるのではないかな、と。

子どもが好きなのは、ニコニコしているお母さんの姿だけでなく、ニコニコしているお父さんの姿でもありますものね。

お父さん(男性)は、得てして自分の事を家族にわかってもらおうとするのが苦手なようだけど、仕事の事やそれに対する気持ちを素直に表現して、もっとわかってもらう努力をしても良いのかなとも思います。

そういう開かれたコミュニケーションを取りながら、お父さんが元気に目の前にある仕事をしていたら、子どもは子どもなりに理解をして、お父さんと遊べない時間は「子どもの仕事」を精一杯するんじゃないのかなと思ったんですよね。

でも、そう。

世の中は、いつも、そんなキレイゴトではうまくいかないものですけどね。

 

なんか、いろいろな思いがごちゃっとなってしまったけれど。笑。

やっぱり、世の中の一人でも多くのお父さんたちが元気に仕事に向かう事が出来る、そんな朝が一日でも多いと良いなと思った次第。

 

うちのお父さんも、すべてのお父さんにも。

いつもいつも本当にありがとう。

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