変化の春。息子の大学入学で家事分担を再考して出た結論とは。
先週は、各地で入学式、入園式が行われたようで、Facebook、Twitter、そしてブログのあちこちでお子さま達の晴れ姿をたくさん見かけました。
はい。
我が家の19歳の長男も、晴れて無事大学生となることができましてホッと一息でございます。
入学式には息子一人が参列したので、親として実感するこれまでのような「子供の入学」に対する感慨は極めて薄いのですが、息子は履修科目の提出をしたりクラブやサークルの新入生勧誘イベントに出かけたりなど順調に大学生活をスタートさせている模様で何より何より。
で、ヤツが順調に大学生活を始めるのは良いとして、今回は息子の大学入学による最大の変化。
それは、
大学生の息子のための晩ご飯は必要ない。
ということです!!
何故かと言うと、息子が入部した体育会アメリカンフットボール部では、身体を鍛えて大きくするための対応として、クラブハウス横の学食で晩ご飯が毎晩提供されるそうで。
全ての大学生のお子様にあてはまる事なのかどうか知らないけれど、これスゴいです。
まぁ、部活で提供されると言うのは栄養的に安心ということで、私自身の事を振り返っても、大学生にもなったらいろいろ忙しくて家で晩ご飯なんて食べないですよね。
この事により夕食はリアルJK高2の妹が一人っ子状態になりました。
兄妹で会話をしながら食事をしていたこれまでの夕飯風景からすると、ずいぶんの変化なんですよね。
私のデュアルライフも、子供が2人いた事でうまく成立していた部分もあったのかもなー、という思いがふと浮かびました。子供が娘一人だったら、あのタイミングでのデュアルライフには踏み切れていなかったかもしれない、と。
それはともかく、私のデュアルライフによる江ノ島滞在日、かつオットの帰宅が遅い日は、娘一人の「一人飯」日が発生してしまうわけで、そもそも食事作りが「やらされ感いっぱい」な彼女にとって、一人飯=カップラーメンの公式が。今からそれは、とても、とてもよろしくない。
こうした変化を感じつつ行われた毎月恒例の月末家族会議。
ごはん当番決めのために長い話し合いをした結果、我が家における食事作りの意味合いもやや変化しました。
つまり「家族はチームだから、みんなが役割を決めてみんなのために必要な家事を分担していこう」という「家事分担のひとつ」というものから
「食事作りは家事のひとつとして分担するものだけでなく、家族のためを思って作るもの」
というものへ意味合いが深まったのでした。
これは、長く家族のために食事を作り続けてきた主婦としての私からすれば極めて当然な事なのですが、原点に戻ったという感じかもしれません。
「食事とは、自分と、そして自分以外の誰かのために作るもの」とした方が意味が実感できて良いですよね。
かくして、かーさん東京不在日はなるべくとーさんが早めに帰宅しつつも、どうしても娘が個食になってしまう日のためにかーさんは晩ご飯を作り置きしておくルールにしてみた。
こうして決まった4月のごはん当番スケジュール。
大きく書いてある人が、上に書いてあるメンバーに対してご飯を作ります、という意味。
兄の予定はさっぱり見えないけれど、月に1回くらいは家族のために食事を作ろうよ、ということでひとまず割り振り。
まずはこれでやってみながら、様子を見て調整してみる、と。
しかし。
浪人生活中は毎日夕飯を自宅で食べていた息子が、大学生になった途端のこの変化。
わかっていた、わかっていたよ。
でも、
わかっていたとは言え、かーさんはちょっぴり寂しいと感じたよ。
余談ですが、幼稚園に入園してから高校卒業するまで15年間作り続けたお弁当も、何ともあっけなく終わってしまっていたのであった。
最後のお弁当についてはもっとドラマチックなものをイメージしていたのに。
そ、子供の大好きなオカズを詰めてあげて、そして帰宅後の空のお弁当箱には子供から感謝のメッセージが添えてある、的な?
でも、私自身がバタバタした日々の中で「弁当最終日」を全く意識していなかった。
ゆえに、何のおかずを入れたかなんて全く覚えていない。
普通の日常の中で流れてしまった最後のお弁当。
「意識していないまま」それは終わってしまっていたんだよね。
そうかぁ。
子供って、急に手が離れるんだな。
子育てって、最後は思いの外あっけなく終わってしまうものなんだね。
もちろん、子供に対する責任は親になった以上は一生続く事だけれど、物理的な事はほとんど終わってしまった感じがする。
どんどん子供は手を離れていく中で、今度は夫婦2人が向き合わざるを得ない時期がやってきて(笑)そうこうするうちに、親の介護も始まったり。
息子の大学進学によって、息子以外の私たちの生活も微妙に変化。
子供が巣立った後の人生がどうなるか、そしてどうするかをじっくり考えるタイミングも近づいてきたと感じてしまった、今年の春でした。