「好き」と「得意」は神様があなたにくれた贈り物

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(Botticelli-Primavera)

先日、あるアラサー女子と話していたときの事、最初は他愛ない話題で盛り上がっていたのですが、だんだん仕事の話になりまして。

今の自分がやってる事に自信が持てない、そして自分以外の皆はキラキラ見えるという状態で焦りのモヤモヤに迷い込んでいるようでした。

 

改めて自分のアラサー時代を振り返ったのですが、長男は27歳、長女は30歳で出産した私にとってのアラサー時代はまさに子育て真っ最中。

周りからの印象は別として、私からは同期女子がバリバリ働いているのが輝いて見え、自分だけが社会から隔絶され取り残されていくような感覚でしたね。

これはこれで霧の中。

「自分がどんな立場にあったとしても霧の中」というのがアラサーなのかもと思ったりします。

 

じゃあどうやったら霧の中から抜け出せるのか。

答えは人それぞれだし、一つじゃないし、難しいですね。

 

 

でも。

やっぱり霧の中で自分の一歩を踏み出す時のコンパスとなるものは、自分だけが持つ何かを「好き」と思う気持ちなのではないかなと思います。

好きな事をしている時って、時間を忘れて楽しくなりますし、「好き」と「強み」を追求すると、主体的で自発的に自分の人生を生きる事に繋がりますし。

 

それで、その女子に「好きなものは何かあるの?」と聞いたのですが、彼女、もうそれすらもよくわからないと。

うーむ。こうなると、取りつく島がないですね。コンパスが効かないまさに樹海に迷い込んでいる状態。。。

 

ちょっと思ったのは、もしかして彼女は「好き」という意味合いを大げさに取り上げすぎているのかな?ということ。

好き=世間様に発表できる価値ある何か、くらいの重み付けというか。

私の考える「好き」は、とても小さなものでいいと思っています。

もちろん、好きが高じて収入に繋がる何かになるのであれば最高ですが、もっと手前の小さな「好き」って何があるかな、って。

 

再びモヤモヤしていた当時の私の話に戻ります。

当時アラサーの私ですが、子ども達の入園にあたって園グッズ(エプロン、バッグ、ランチョンマットやら何やら)が必要で作ったんですが、実はこれがすごく楽しかったんですよ。

わたし、すっかり忘れていたのですが、ミシンや刺繍などで手芸をするのが好きで得意。手先が器用だったので小学校では手芸部(笑)。

当時のモヤモヤを吹き飛ばすかのごとく夢中になって楽しんで作った気がします。

好きだったからこそ「こんなことやってて何になるんだろう」とは思わなかったし、着々と「園グッズ」が出来上がるのも自己満足と達成感が得られて面白かったです。

そして、集中して楽しい時間を過ごしていることで、恐らく私は気持ちの良い空気感を周囲に放っていたのではなかろうかとも思います。

(ちなみに、この「楽しそうにしている」空気感が自然に出てくる状態って大事ですよね。)

 

さて、その手仕事系の才能が現在の私の生活の「収入」に繋がっているかと問われると答えは「NO」ですが、振り返ると、あの時一瞬でも夢中になれるものがあり機嫌良く過ごせていた事はとにかく良かったと、そう思っています。

そして、手芸好きで園生活に必要なものが作れるというのは私の小さな特技(武器)の一つだと思います。必要であれば、時間のないママに代わって作ってあげても良いと思う事さえあります。

 

また、ほどなく奇跡的に再就職を果たした先は、私が大好きな本をこよなく愛する人が集まる場所でした。

週2勤務というささやかなアルバイトでしたが、知らない事ばかりのワクワクする話題で満ちている場所で自分の知識欲が満たされるのはひたすら感謝でしたし、そこで出会った方とのご縁は今でも公私ともに続いています。

私が新しく何かを始める際にはいつも惜しまずサポートしてくださり、まさに私の宝もののような存在です。

類は友を呼ぶと言うように、自分の「好き」と同じものを持つ人が集まる場所で出会う人とは、一生のお友達、場合に寄ってはお友達以上の存在になれるという事だと思います。

 

しみじみ「好き」という気持ちこそが他のネガティブな全ての気持ちに勝る力であり、神様がくれた大事な贈り物なんだと思います。

 

また、あまりに迷走してしまって自分の「好き」が見つけられなくなっていた彼女には、本屋さんに行く方法をオススメしてみました。

ほどほどに多様な本が揃うフロアをぐるっと回り、自分が「気になる」本を片っ端から集めてみて、その中から「読んだ方が良い」とか「勉強しなくちゃ」という気持ちで手に取った本は棚に戻します。

最後に手元に残った一冊が、自分の気持ちに正直な「好き」に気づくコンパス本。

そこに自分の本音が隠されているのではないかと思います。

 

ほどなく、彼女からは「気持ちがスッキリしました。自分の向かう方向が見えてきた気がします」との連絡を頂きました。

これからも迷走することはあるかもしれませんが、それもまた楽しむしかないですよね。

 

改めて、霧の中でモヤモヤしているアラサー女子に伝えたいこと。

モヤモヤ時間は自分本来の「好き」と「得意」という、自分だけが持つ宝物を探しあてるための大事な時間だということ。

そして、自分の「好き」に正面から向き合ってじっくり考えるプロセスには、自分自身の再発見やその先に続く成長があると信じて、モヤモヤを前向きに捉えてみること。

そうしているうちに、気がついたら霧の中から一歩を踏み出せていると思います。