夢を語る友人に、私はどう在りたいかという話。

f:id:coconots9:20150106201936j:plain

2015年が幕を開け、すでに一週間近くが経とうとしています。

2014年を今改めて振り返り、去年一年間は自分にとって本当に大きな変化とチャレンジの一年だったと感じています。

 

時系列に思い起こせば去年の3月頃だったか、友人に湘南近辺のシェアハウスを紹介して貰ったものの、確かに最初は躊躇していた自分がありました。

でも、必然の出会いといろいろな後押しがあり、同時に自分が勝手に抱えていた一方的な思い込みなどを断ち切ったことでシェアハウス入居&デュアルライフへ踏み切ることが出来ました。

これらは全てちょうど今から一年前のお正月にはとても考えられなかった事ばかり。

つくづく、次に何が起こるか、人生はわからないと感じます。

(デュアルライフ@江ノ島シェアハウスに至るまでのプロセスはこちらのカテゴリーに詳しく綴ってあります)

ただし、何が起こるかわからないと言いつつも、全て自分の意思で決めて選び取ったことなので「次に何を起こすかわからない」と言う方が正しいかもしれないですが。

 

そう言えば、家庭(オットと未成年の子ども2人)が自宅におりながら、主婦であり妻である私が一人単身で湘南に住み始めた当初、家庭内での話し合いプロセスを詳しく知らない方には「別居?」「家出??」といった、落ち着かない気分や心配を与える結果にもなっていたようです。

また、そこまでではなくても遠巻きながら不安に見守る方多数など(笑)受け取る側の方や立場によって本当に様々な反応がありました。

 

そして、はてなでブログを始めるきっかけを頂いたご縁があり、私の日々のアレコレや湘南の素敵なお店や暮らし方を定期的に発信するようになってからの、今年。

 

頂いた年賀状には「応援している!」や「切り拓いていくのは大変だと思うけど頑張れ!」という応援系メッセージや「家族内でのやりとりを読むと、どこも同じかと思うとホッとする」とか「大きな学びになっている」といった共感系メッセージが多数ありました。

本当に多くの方に支えられ応援されているのだと実感しました。

感謝、の一言に尽きます。

 

自分としては、ただ純粋にやりたい事をやっているだけのことなので、そのために必要な事は多少困難だったとしてもやるしかないと言う感じでしょうか。

というよりも、家事を分担するための根気のいる話し合いとか、自分の価値観を変更することなど、それをすれば自分のしたいことが実現するならばむしろ喜んでやりますというスタンスで、あまり苦労には感じていないというのが正直な所でもあります。

 

むしろ、自分がしたいと思っていた事は「湘南に住んで海や山の自然を感じながら暮らすことなんだ」と突き抜けられた事により、自分以外の人がどう思うかよりも、自分がどうあるか、自分らしくいる事の方が快適で楽ちんなのだと言う事がわかったということ。

これは本当に大きな収穫だったと思います。

 

そこで、今、思うこと。

 

もし、誰かが、何かをやりたい、始めたいと言い出した時に、自分はどうしたら良いのか、何が出来るのでしょうか。

 

時々見かける場面として。

「〜〜したいんだよねー」とか「〜〜してみたいなー」と言った発信に対し、

「えー。それって結構キツいって聞いたー。」

「すごいお金かかるんだってね。」

「言うほど効果は得られないらしいよ。」などの反応が時々あるかもしれません。

 

実はコレ、何を隠そう私の母親の反応だったのですが。笑。

子どもである私が部活や趣味など、何かを始めようとする度に「あなたにはムリよ」「お金がかかるから止めときなさい」「そんなのあなたには向いてないから」「どうせ長続きしないんだからもったいない」・・・。

よくまぁそこまで子どものやる気を攻撃できるものかと言うほど、そして今こうして超前向き激ポジティブ人間に成長した事実に私自分が感心する程のネガティブストロークでした。

 

でも、そんな言葉の数々。

よく考えてみると。

 

それって、本当なの?

誰が言ってるの?

その人は、それの何をどこまで知っているの?

実際に体験してそれを言っているの?

・・・

その言葉は、あなたが信じるに値するほどの真実なんでしょうか?

 

物事に対する感じ方、捉え方は人によってみんな違いますよね。

それを言っている人と自分は、性格、体格、生活スタイル、時代背景、育った環境・・・など、どれ一つとっても自分と同じではないはず。

だから、誰かが何かを言ったとしても、さして気にする事はないと思うのです。

最後は、すべて自分自身の問題なんですから。

 

そういうアドバイスをくれる人は、きっと慎重なタイプの方なんだと思います。

あなたのためを想って、先回りして心配してアドバイスしてくれているのだと思います。

だから、その気持ちはありがたく受け取りながらも、むしろ、自分の決意はどうなのか、本気でやりたいのかが問われていると考えれば良いのだと思います。

 

では、目の前にいる相手が夢や想いを発信してきたときに、それを聞いた「私」が取りたいスタンスについてですが。

私としては、とにかくその気持ちを持ったその人を応援したいです。

その人が持つ力を信じたい。

その前提で、自分が直接答えられる回答や手段を知っていたらすぐに伝えること。

残念ながら持っていない場合、自分の持てる態度は一つ。

「じゃ、どうしたら良いのだろう?」と共に考える事。

自分の知っている方法や知見を思い起こす事はもちろん、その分野に成功している人や楽しんでやっている人を自分の人脈から思い起こして紹介する事も出来るかもしれません。

 

その後、その人がその夢に向かってやるかやらないかは、その人次第。

その人の本気具合や覚悟はその人にしかわからない事。

夢に向かって向かい始めたら、また自分に出来る形でその人を応援します。

その人が途中で断念するとしても、そこまで本気ではなかったか、まだ機が熟していなかったのだと思って、私からは手放します。

 

今回の自分のケースを振り返ると、「湘南に住むのが夢だけど、今の状況で賃貸するにはコストがかかり過ぎる」と言った私に対して「じゃあシェアハウスに入ればいいんじゃない?私、湘南でシェアハウスのオーナーを知っているから紹介するよ」とすぐに動いてくれた友人がいた事。

あれこれ言わず、夢を実現する手段を提示してくれた彼女には、本当に心から感謝しています。

 

ただ、たとえ夢に向かって一歩踏み出したとしても、そんなにスムーズに進むものでもないと思います。

でも、ダメでもOK。

失敗してもOKなんだと思うのです。

失敗したらしたで、必ずそこから学べる事があるはずで、とにかく始めてみるところからしか、何も始まらないと思うのです。

そして、進んでいくのも、少しずつでいいのだと思います。

今夢を語らずして、老いし日に何を語るや。

(ゲーテの「若き日に旅せずして老いし日に何を語るや」をもじってみました)

 

そう、そして、3歩進んで2歩下がる、という歌が、その昔流行ってました。

(これがすぐにわかる方は、かなり昭和w)

人生はワンツーパンチ。

幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだね、と、水前寺清子さんは歌ってました。

三六五歩のマーチ 水前寺清子 2011'(5) UPA‐0141 - YouTube

突き抜けてやりたい事をやるということ。

それを自分に許すということは、他の全ての人もそういう人生を歩んで良いと思えるようになる事。

それが体感レベルで理解できた2014年。

 

今年2015年も、私は新しいチャレンジを続けていきたいと思っています。

だから、チャレンジをする全ての人を応援する自分でいたいとも思っています。

 

あなたがいて、私がいる。

 

改めて、今年もよろしくお願いします。