東逗子シェアハウス#910(ここのつ島)名物「自治会」で感じて欲しい事

東逗子に#910(ここのつ島)と呼ぶ一軒家をシェアハウスとして開放し始めたのは去年の6月。

私が考える「シェアする場所って、こんな在り方が理想かなぁ」を手探りでひとつひとつ丁寧にカタチにしてきました。そして、約1年経って何となく見えて来たものがあります。

「シェアハウス」と言っても、存在するシェアハウスの数だけスタイルがあると思いますが、#910(ここのつ島)の特徴の一つは、オーナーである私たちが半居住しているところかもしれません。

といいますか。。。。

そもそも#910(ここのつ島)は、この土地にご縁を頂いて家を建てることになった私が、もっと多くの人とここを分かち合いながら暮らす方が人生の後半がオモシロ楽しくなるんじゃないかと思ったのがコトの始まり。

そして、単なる「シェア」を超え、暮らし合う人と「拡大家族」としてゆるく繋がり合いたいという想いから始まったこと。

なので、私たちが住んでいなかったら、それはそもそも#910(ここのつ島)にはならないのでしたw

 

半同居、というのは、まだ私の子どもたちが東京の自宅に暮らして通学している事もあり、東京の自宅と#910(ここのつ島)の行ったり来たりを今も続けているから。

二拠点生活もすっかり板につきました。

便利も不便も全て受け入れて、この生活をまるごと楽しんでいます。

 

さて、この#910(ここのつ島)に住む島民について。

かつての島民(住人)が、この場を「珍獣揃い」と表現した通り(笑)、バリエーションは豊か。とは言え、どこかに統一感がある珍獣たち、そんなイメージw

 

さて、そんな珍獣たちをどうまとめていくか。

正直、「まとめる」つもりは最初からないのですが、とは言え、せっかくここで巡り合ったご縁を大事に育てるために行っている事があります。

それは、#910(ここのつ島)名物とも言わる「自治会」、住人が月に一度集まる会。


自治会参加は強制ではないものの、いろいろなことを共有する大事な時間として設けている気持ちが伝わっているのか、皆さん、優先順位高く参加して下さっていると感じています。

 

話は少し逸れますが、#910(ここのつ島)にはシェアハウスに付き物の「お掃除当番」がありません。

私たちと同様に、ここを二拠点生活の一拠点としている方も多く(二拠点生活を実現しやすくするためのプランもあるので)「当番制」自体がそもそもムリ。かと言って、外部に清掃を依頼するのも違和感がある。

なので、「使ったその場をキレイにすることを基本としつつ、いつも誰かが自分の知らない所でいろいろな事をやってくれていることを心に置き、出来る人が出来る時に出来るだけ掃除すること」をモットーにして当番制はナシにしています。


ただ、月イチでも全員で大掃除をしたら気持ち良いのでは?という島民の提案で、自治会の時間の30分を使って皆で大掃除をする様になりました。そうしたら、これまで以上にさらに「良い気」が流れる様!!


ちなみに前月の自治会参加者は、珍しく男子オンリー。

窓ふきから床掃除などもゴシゴシ力強くやってくれて助かった!

いやーーー、男子って力強い。

おまけに、何も言わなくても自分の持ち分見つけて掃除始める男子ばかり。

実に頼もしい。

 

お掃除は、

自分たちが暮らす場を全員で整える事で、その場を大事にする感覚がより自然に芽生えたら、という気持ち。

自治会は、

910で共に暮らし、日常の小さなことを共有する関係の中で、大人である私たちが小さなことでも認め合う関係をつくることや、互いに受け入れ合う拡大家族というヨコの繋がりを強められたらという想いが根っこにあります。

 

情報共有の後は、最近どんな事を考えているのか、という大きなテーマでのフリートークシェア会。

風が通るデッキでビールを飲みながら、またはリビングでご飯を共にしながらの共有会は気持ちよくて美味しいだけでなく、普段の関係性のおかげもあって自然と自己開示・開放した時間になり、シェアがとても豊かで濃いのです。

心が互いに深い所で繋がり合い、逗子の自然とも繋がる時間となるのです。

 

以前、「自立とは、依存先を増やすこと」という記事を読みましたが、ここのつ島のシェア会が自己開放できる場になっているのは、安心した信頼関係が根底にあることと同時に、お互いに利害関係が絡んでいなく、良い意味で直接的な関係性がないおかげだと思っています。 

例えばもし、相手の悩みの原因と自分の利害が絡んでいる時には、いろいろな想いが心中に錯綜して穏やかにその人の話を聞いていることは難しいですよね。

当然、話をする方も遠慮が出て来て本音を開示する事は簡単ではなくなります。

公平な立場で自分を開示・シェアできる場(コミュニティ)をどれだけ多く持てるか。

改めて、深い所での繋がりを感じながら複数のコミュニティとゆるく繋がることが「依存先を増やす」ことへの実践に繋がるのではないかと感じています。

 

自分を認めて、相手を認める。
自分で自分を育てる。

まさに「自らを治める会」としての「自治会」。

これがあるからこそ、「珍獣たち」も仲良くお互いを受け入れ合い、認め合って暮らしているのかなと思っています。

 #910(ここのつ島)

 こちらは自治会の後のシェアご飯会。みんなが適当にそれぞれ料理を持ち寄ります。

 これも、出来る人が出来る時に出来るだけ。無理ない事が続くこと。

 

新島民もウエルカムです。

気になる方はコチラからご連絡ください。

 

 

亡き父から50回目のお誕生日に素晴らしいGIFTが届いた件

ジョーにワタクシゴトながら、先日、無事に50回目のお誕生を迎える事が出来ました。ここまで来れたのも皆様のおかげ。

「感謝」のひと言に尽きると言うもの。

本当にありがとうございます。

 

さすがに「生誕半世紀」ともなると、思いがけず多くの方からメッセージを頂いたのですが、中でも、これから後半の人生を生きるにあたってとても大事なギフトを、今は亡き父から頂いたと感じているので(自分の備忘録としても)ここでシェアしたく。
そうは言っても、このギフトから私が感じたメッセージが何かどなたかに伝われば良いなと思っています。

 

先日、撮り溜めてあったmini-DVテープなどを、テープが劣化して見れなくなってしまう前にと、一斉にDVD変換したんです。

そこには、ランダムに10年〜20年ほど前の子どもたちの可愛らしい姿が残っており、大変癒されるのですが。


私の誕生日前日のこと、それを見ながらお昼を食べようとふと思い立ち、手に取って再生したDVDが、たまたま、現在21歳の息子・航太朗が誕生した直後の病院での録画ビデオでした。

産後すぐの息子が助産婦さんに抱かれてちらっと姿を見せ、すぐまた産室の方へ戻ってしまうのですが、この世に産まれたばかりの息子にビデオで再会できたのは感慨深かったですが、何より驚いたのはその後。

 

私がいる分娩室へオットが一人で入室するため、ビデオカメラを控室に残る母に預けたのですが、どうやら録画ボタンを停止しなかったのです。


陣痛中付き添ってくれた母、産まれると聞いて急いで駆けつけた父と兄。
3人の何気ない会話が録音される事、延々約40分。


内容はほとんど同じ事の繰り返し。つまり、
・良かった良かった。母子ともに元気で良かった、という安心から出る言葉。
・生まれたての赤ちゃんは普通サルみたいなものだけど、可愛い顔だったなぁ。あんな赤ちゃんは見た事ないぞという「うちの孫一番可愛い」の言葉。
・お産の進行、陣痛の様子はどうだったのか、何時間かかったのか、というお産について確認する言葉。

 

3人ともこの世に産まれたばかりの命の誕生に興奮・安心していて。
父の愛、兄の優しさ、母の安堵感がそこかしこから伝わってきて。

 

映像は天井やらソファを写すピンぼけのまま、ボタンがONと知らず繰り返されるそのやりとりが、50を迎えようとしている私に、すごくすごく温かく、本当に胸にしみました。

 

多くの家庭が何らかの問題を抱えるように、言うまでもなく私の家も父と母の不仲や経済的な苦労、いろいろな葛藤がありました。
私は、感情を変にこじらせたせいで、長く父を認められなかったし、父と母の不仲も子ども心に辛いものだったと思ってた。


でも、その何気ないやりとりの会話を聞いて、全く違う感情が湧いて来たんです。


それは最近私がテーマとしている事。
つまり、全ての人が、それぞれ「良かれ」と思って行動している。
幸せになりたいという想いは同じ。
ただ、方向性はそれぞれだし、それぞれにそれぞれの「正義」があるということ。

 

全ての行動は、本来は愛そのものから為されるもの。
言えるとしたら、その「愛」の出方が、それぞれの生まれ持つ性質や育った環境で異なるというだけのこと。

人は感動するとすっと素直になるものだけれど、命の誕生に感動した母・父・兄が互いにとてもフラットな会話を続けていて。母と父が、普段のぶっきらぼうな関係ではない、素直な根っこで繋がり合っていた。

命の連鎖の底に流れる愛の存在が、そこには感じられた。


そして、改めて、もう少し昔に想いを馳せてみると、父や母も、父や母が産まれた時は、同じ様にその祖父祖母たちに祝福されていただろうな、とか・・・。

 

そんないろんなメッセージが、私の50歳の誕生日というタイミングに、放置してあった息子の誕生DVDに録音されていた両親や兄の会話からど真中に伝わって来て。

すでにこの世に存在しない父だけど、こんな気づきに導いてくれる最大のGIFTを送ってくれました。

やっぱ、人間って、死んじゃった後の方が影響力大きいんだよねぇ。

ありがとう。

わたし、産まれて来て、ほんとに良かったよ。

 

50年前のワタシ。今と全く変わらないと言われたけど、それ、喜んでいいんだよね?w

↓  ↓  ↓

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40代後半主婦が2年間のシェアハウス生活でたどり着いた新しい生活とは

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突然ですが。

 

引っ越しました。

って、えぇぇぇぇ、またぁぁぁぁ???って感じですよね。

引っ越したのはデュアルライフ先、湘南での滞在先の方。

今度は逗子に移りました。

(昨年末から半年近くブログが途切らせていた時期がありましたが、そこで大きな変化が起こっていたという事であります)

かれこれ、片瀬江ノ島でのシェアハウス生活に始まり、腰越に移り、今度は逗子かよ!ってツッコミがガンガン耳に届いてきております。が、はい、まぁ、人生何が起こるかわからん、を地で生きていくと、こういう展開になるんですね。

まー、ね、人ごとのように言ってる場合ではなくて、こんなかーさんや妻を持つ家族も大変だと思いますが、ここまでくると家族も巻き込まれるがままに楽しんでいます、いると思います。多分。わからないけど。

 

ただ、今回はこれまでとはちょっと立場が異なりまして。

今まではシェアハウスに一室を「借りる側」だったのですが、立場の逆転と言うか、ちょっとしたパラダイムシフトが起こりまして。

今回は「家」を持つ側になりました。

 

なんていうんでしょう、湘南と東京、家族と一人(+シェア先での暮らし合い)を行き来している中で見えてくるものがあったんですよね。

そして、それが案外良いな、と。

私の場合は

1、やっぱり湘南に住むって、良い!これは他には換えられない!!!

2、母が家を定期的に出る事によって家族は自立し、同時に結束するものがあった

3、暮らし合う生活(シェアする中での)で増幅するものがあるって気づいた

4、2拠点を行き来する間で見えてくるものが、ある

だったかなぁ。

 

この4つの点については、これからまた少しずつブログに書いていきますが、やっぱりですねぇ、自分が好きだと思う地域、土地には、「何か」があるのではないかと思います。それが、土地が引寄せるチカラなのか何なのかは、わかりません。

ただ、そのなんとなく惹かれる、とか、どうしても気になる、といった「直感力」に従って素直に行動していくと、自分の中に眠っていた「種」のようなものが目覚め始めるのかもしれません。再起動、というのかもしれませんが。

湘南地方、とくに逗子葉山地区の海と山が近くてちょっとローカルな感じが私にはピンと来るものがありましたし、「やっぱり好き!」に加えて、その気持ちは「ずっと住みたい」という確信に繋がりました。

 

そして、今まで仕事が大好きで、メンバーと共に仕事で成果を上げていく事を喜びとしていたオットが、家族との関わりにも興味を持ち始めていくプロセスがあり、また、自由で楽しそうに人生を生きている私の様子を見て、オットも巻き込まれてきたわけです。アメノウズメノミコトが舞い踊る様子で、アマテラスが岩戸から出てきたように彼の「心の岩戸開き」でも起こったんでしょうかw

ついに、彼も、自然がそばにあって穏やかでいられる、そんな暮らしが心地よいと感じるようになったようです。

 

結果的には、通常の生活を営む「本宅」を東京に維持しながらも、逗子に「セカンドハウス」を持つに至りました。

が、逗子の家は、これまでの概念で言う「別荘」(自分たちが所有し、家族や近しい友人だけで使う家)ではなく、多くの人でシェアし合い、自分の素の姿で楽に暮らし合う中で主体的なつながりが自然と生まれ、お互いの暮らしを近くに感じる中で成長し、新しく小さな事に気づいて一歩踏み出す「拡大家族が住まう家」のような場所にしていきたいね、と。

 

不思議なことって起こるものですね。

私が思い立って湘南に住む!と言い出してから2年後にこんな展開になるとは。

すべては「ご縁」が導いてくれている今の人生です。

すべては「人」に尽きると感じる人生です。

この今の自分を思うと、大きな力を感じずにいられないと思う瞬間がたくさんありますし、特別な宗教を持っているわけではありませんが、「Something Great」「大いなる存在」とかいうものがあるんだなと強く思っています。

 

というわけで、これからは「暮らし合う生活・シェアライフ」の中で見えてくるものや逗子での生活もブログに綴っていく事になります。

改めてよろしくお願いいたします。

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親の自立・子の自立。〜受験を通じて考える〜

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先週アップした記事に引き続き、今度は試験ネタに息子との会話を絡めて少し。

 

それにしてもですね。

日々のちょっとした時に「もう試験に向けて勉強しなくていいんだ!」と、じわっと幸せを感じる瞬間が多いのですよ。

そんな折、珍しく家にいた息子とお昼を二人で食べていたときの会話で何気に気づきが多かったので、とにかく、再現。

 (ラーメン食べながら・・・)

母:かーさんさぁ、試験が終わって本当に良かったって、改めて思うんだよねー。

例えば、これまで移動の時に持ち歩いていたテキストとか、これからは鞄に入れなくていいんだって気づくときとかの、ふとした時にさぁ。

息子:ふーん、良かったねー。

母:しかしさ。あなた、去年一年間の浪人生活、よくぞ本当にがんばったよね。

何度でも言うよ、ほんとによくやったわー。

今さらだけど、当時のあなたの気持ちが少しだけどわかった気がしたよ。

あれはあなたにとってはずいぶんキツかっただろうと思う。

息子:うーん、5月がね〜。

5月の頃はキツかったね。

これから先、ずっと一生5月が続くって思ってた。

母:へー、そうなんだ!

浪人が決まって、新学期始まって、で、5月か。

そんなキツいと思ってたなんて全然気づかなかったなー。

その頃って、勉強では何がいちばん大変だった?

息子:うーん。まっさら過ぎるというか、取りかかれるところが多過ぎて、逆にとりかかれない、っていうか。。。

しばらく繰り返していくと、じぶんのわかっている所とわかっていない所が見えてくるから、やる事とやらなくていい事が見えてくるんだけど。。。

母:あー、それそれ、よくわかるなー。

スイッチが入った!みたいになったのって、いつ頃?夏とか?

息子:スイッチが入った、っていう感じはどこでもなかったなぁ。

なんて言うか、スイッチは入っているんだけど。。。

徐々に上がっていったっていうか。

母:そうかそうか。

でもさ、改めて今回思ったけど、記憶したり理解したりって言う「勉強」って、ループなんだよねー。

そうそう、それで言うと、ほぼ日刊イトイ新聞の夏の終わりの恒例コンテンツに「勉強の夏ゲームの夏」というのがあるんだけどさ。

賢いセンセイがいろんな質問に答えてくれてそれがウイットに富んでて面白いんだよね。今年の夏は、かーさんも試験勉強してたから、一生懸命「勉強の夏」の所を読んでみたんだよね。

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【備忘録】国家資格受験記念。アラフィフ30年ぶりの受験体験。

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先週の日曜日、とある資格を取得するために「受験」なる事をして参りました。

合格率35%の難易度C(やや易)とは言え、一応国家資格だったので当日は勝手に緊張しました、はい。

(ちなみに、日本には医師、弁護士、建築士、その他ありとあらゆる業界にわたり300弱の国家資格があるそうです。いろんな資格があって調べてみると面白い。)

合否が出る、そのために勉強をし、模試を受けて実力を知って本番に臨むと言った一連の「受験勉強」をしたのは、約30年ぶりくらいの事か。

終わってしまうと「良い経験」として丸められちゃいますが、今回、改めて気づいた事を備忘録として。

受験シーズンには遠いけど、試験というものは年中あるし、何かで役立つかもしれないしね。

まず、一番に思う事。

学生さんは大変だ。

覚えたくもない単語とか記号とか、覚えて一体それが何になるんだ?的な決まり事を、とにかく文句言わずに覚えないとならない。

「まだこんなに覚えてないー!覚えられない。あー、もー無理だー。」と叫ぶ私を横目に、JKの娘は「私の苦労がわかったか。高校生は期末試験のたびにそんな思いなんだからねっ!」と冷静な視線とコメントを、度々、頂きました。

はい、ほんと、その通りです。

大人の趣味から始まるお勉強は「繋がり」があるから納得感があるし、学んだ事が思わぬ所に繋がっていくので、勉強していても楽しい。

でも、学生的な勉強は「つべこべ言わずにこれはまず覚えなさい。話はそこから。」的な事が多く、それって、シンドイ。

単語カードなど作って隙間時間に見たりしましたが、年取っている分だけ記憶も弱いと嘆いたけれど、年齢に関係なく難しい事を覚えるのは大変なんですよね。

 試験前一ヶ月前のむにょむにょ

この時期のプレッシャー・・・。

なんで試験を受けようと思ったんだろ、という「今更そこ???」的な疑問・後悔から始まり、このままじゃ合格は無理だぁ・・・と言う焦り、プレッシャー、ストレス。

その一方、今はもうやるっきゃない!の開き直り。

「むにょむにょ」と「うぉぉぉぉぉぉぉーーーー」という感情の反復運動を繰り返す日々。

腹が据わるまでの期間って、痛く、ツライ。 

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東京と地域の二拠点生活。始める所から始まるを楽しむ人生。

先日、素敵な記事を読みました。

簡単に要約すると

・建築ライターの馬場未織さんは、会社員のご主人未織さん、中学生の息子さん、小学生のお嬢さん2人の5人暮らし。東京ではご主人のお母様と同居という三世代家族形態。

・かれこれ10年に渡って、自宅と仕事を東京に持ちながら、週末は南房総の民家で暮らすという二地域居住を続けている。

(金曜の夜にペット含む家族全員で房総の「週末の家」へ行き、日曜日の夜に東京に戻る)

・そもそもこの生活は、アウトドア好きのご主人の影響で未織さんも自然に惹かれ始めた事やお子様の昆虫・自然好きもあって家族での田舎暮らしを真剣に検討したことから始まったのだが、暮らしの中に都会と田舎を取り込むために出た結論は「双方に家を持つこと」だった。

とのこと。

 

これを読んだ私の最初の感想は、「わーー、羨ましいなー」でした。

これを言うと、私の「東京〜鎌倉デュアルライフ」を知っている人から「おい、何を言っとるんじゃ!」といった怒声が聞こえてくるに間違いないと思うのですが(笑)、いや、何が羨ましいのかって「家族全員で2拠点生活を送っている」という所です!

そもそも、二人とも東京生まれの東京育ちという馬場さんご夫婦だそうですが、自分達らしい自然暮らしを求めて対話を続けて最終的に今の場所を見つけたとのこと。

そこにたどり着くまでには、思いがけない出来事が多くあったようですが、自然の中で時間を過ごす生活を成長途上のお子様やご主人と共に実現出来るって、本当に素晴らしいしとっても羨ましいと素直に感じたんです。

 

そうなんです。

家族で一緒にいられる時間は有限で、本当に貴重なんですよね。

 

私(たち)のケースで言えば、オットは山の中で遊んで育った田舎育ちで、対する私が東京生まれの東京育ち。

ただし、行動的な母親が幼い兄と私を野山遊びに連れ出してくれたり、小学生以降はYMCAキャンプに参加させてくれたりなど、私自身の自然体験は比較的多い方だったかと思います。

大人になり、当時現役社会人アメリカンフットボールチームの選手だったオットと結婚してからは、オットは仕事と試合・練習で年間通じて多忙な日々。

引退時、子どもたちはちょうど小学生でしたが、すぐに単身赴任生活が始まり、かつそれは6年にも渡り、家族で自然と関わるような機会はあまりありませんでした。

そんな私でしたが、40を前にして始めたランニングで出会った仲間と山や海などで再び遊び始めたことで自然の良さを再確認、子育ても一段落する中で昔から持っていた海や山が近い湘南暮らしへの憧れがわき起こるようになっていた時のこと、デュアルライフという方法で夢だった湘南に拠点を持つご縁とタイミングを頂いたのです。

この私の行動に引っ張られるようにして、オットと娘も私が週末に暮らす鎌倉シェアハウスに時々遊びに来るようになり、結果として家族全員が自然が近い生活の良さを実感するようになってきました。

つまり、馬場さん達とは違う順番で、オットや娘も自然の近くで暮らす生活が心地良いと感じ始めたわけで、これは本当に良かったかと。

娘について言えば、高校生の生活リズムの中でそんなに来られないのが実情ですが、この夏休みに娘と海を散歩していた時、娘が「お母さんがこっちに部屋を持った事で、海が近くなった」と言うのを聞けたのは嬉しい一言でした。(ちなみに、体育会に所属する息子は遊びに来てもいませんが。)

 

二地域居住生活に至る経緯やプロセスにはそれぞれのスタイルがあったとしても、自然の生活と東京での仕事を大事にしたいと考えて辿り着くところは結局同じかと思います。

私は、この生活を馬場さん一家のように成長途上にある子ども達と過ごしたかったなぁと思ってしまいますが、始めたところから始まる何かがあるはずですし「まぁ、これで良いのだ」と。

 

スタイルについては、

馬場さんが

「当然、二地域居住は、もう一つの住宅、往復の交通費や光熱費など追加の費用がかかります。これについては、私たち家族の『贅沢』だと考えています。東京に暮らす普通の家族は、たまにリゾートに旅行に行ったり、いい服を買ったり、子どもを合宿や塾に通わせたりします。私たち家族にとっては、その代わりがこの房総の家なのです」

とおっしゃっるように、もう一つの住宅を持つ生活スタイルは「贅沢」ですが、家を持たなくてもシェアハウスをセカンドハウスのように利用しながら二地域居住生活をするのもアリですよね。

とにかく大事なのは、丁寧で時間をかけた「話し合い」を持ちながら、思い込みに囚われずに色んなスタイルを模索することかと。

自分に正直な思いを大事にしつつ、同時に自分の周りにいる大事な人との対話を続けて前に進んでいけたら、きっとそれは何かに繋がっていくのだと信じています。

実際に私がこの生活を始めて1年とちょっとですが、以前に比べてずっと家族と話し合いをするようになったし、家族全員でフラットに話し合う忍耐力も必然的に身についてきた気がします。

自然の中で気持ちを開放して自分にとって大事な事を感じながら新しい世界を開いていくこと。

きっとそれまでの自分が想像もしていなかった何かに繋がるのじゃないかなと思います。

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子どもは一番身近に存在する自然。母親へ投げる娘の言葉から学ぶ事。

森・海・山という全部タイプの違う自然と、眠らない街である都会の2拠点を行き来して過ごした7月。 

森では日が暮れ行く時間をじっくり体感し、鳥の声で目を覚ます。

そして、湧いてくる森の力を肌から感じたり。

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 4.5キロ海を泳ぐ大会の参加目的で訪れた新島では、青い海の中を全身を使って海を感じられることって楽しい、そしてありがたいなーと感じた。

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夜には波の音を聞きながら地面に寝転がり、満天の星空をバックに流れ星を見られたのが本当に嬉しかった。

 

屋久島では大きな山と無数にある滝や水、屋久杉から循環するエネルギーを強く感じたし。

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群馬の川場村では、5月に植えた時に頼りなかった稲がすっかりたくましく育った様に自然の生命力を強く感じて。

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 一ヶ月間、都会に生活しながらも、森、海、島、たんぼと言った「自然」と行き来する日々を送りました。

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