二拠点生活がもたらす価値と意味(#910(ここのつとお)の場合)
逗子に建てた家を、自分と家族が使うだけでなく、#910(ここのつとお)として他人と共に暮らし合う生活を始めて1年とちょっと。
私たちが「拡大家族が暮らし合う」と呼んでいるように、ここが安心感で繋がり合える場所に育ってきていると感じています。
ここを開放しようと決めた時に思った事は、
素に戻れる
素に戻って考える
素の自分を受け入れてくれる
そんな場所になったらいいな、ということでした。
自分の経験から言っても、人って忙しいと、立ち止まることをつい忘れちゃうんじゃないか、そう感じます。
だからこそ「素の自分」に戻れる、そんな場所があったら、って考えたんです。
#910(ここのつとお)での暮らし方は2つ。
ここを住居として常に生活をしている人。
そして、ここを二地域居住の一拠点としている人。
※この二地域居住での暮らし方を#910では「リトリートステイ」と呼んでいます。
実際、私たち夫婦も二地域居住です。
リトリートステイの方は、ご自分の本拠地を他に持ちつつ自分のペースで#910に訪れますが、みな、湘南や逗子と言う土地が好きでここに辿り着き、この土地の空気感を楽しみつつ、一つ屋根の下で暮らし合っていると思います。
そんな場所で、私がすることはただ一つ。
安心・信頼できる場所を用意し、整えること。
そして、1年経った今、実感としてわかるのは、
人は
自分のための時間を持ち、
素の自分に戻り、
素の自分を受け入れてくれる場所を感じると、
人は「自分はこうありたいんだ」という本質に自ずと気づける様になる
ということ。
この1年、#910(ここのつとお)に暮らしてきた島民から、実際に変化していく姿をたくさん見せてもらいました。
島民はここでそれぞれ好きな様に時間を過ごします。
その個性豊かなスタイルからいつも私は新しい気づきをもらっています。
そして、リトリートステイしていた島民から、 今回も新しい気づきをもらいました。
それは、
「自分の本質」に気づくことは、
必ずしも二拠点で「寝泊まり」しなくても実現できる
ということ。
#910(ここのつとお)にリトリートステイしていたある女性の話。
フリーランスの彼女は、湘南という土地に繋がりを持ちたいこと、そして始めようとしている執筆活動に注力するための集中できる場所を持つという動機で#910(ここのつとお)への入居を決められました。
念願の土地に安心できる居場所を得て非常に喜んでいらっしゃいました。
とは言え幼いお子さんをお持ちでもある彼女、逗子まで来てもほぼ毎回日帰り。
わずか2時間ほどの滞在のためにわざわざ来た事もあったようです。
結局4ヶ月で退去されたのですが、その間で#910(ここのつとお)に寝泊まり出来たのはわずか2回。
そんな環境でも、月に1回の島民の集まり(自治会)には、ご主人にお子様を預けて参加したり(とは言え、ギリギリの終電で帰られたり。涙)、それも難しい時はSkypeで参加するなど、その時に出来る範囲で最大の関わりを持とうとしていらっしゃいました。
もっとここに遊びに来たい、泊まってゆっくりしたいという気持ちもあったと思います。
自分一人、家族と距離を置いて#910(ここのつとお)で迎える朝も素晴らしい。
でも、それが出来ない時もある。
その時にどうするか。
小さなお子様や家族を大事にしながら、やりたいことを諦めない。
やりたい事が100あって、もし30の出来ることがあるなら、その30を存分に味わう。
それは妥協ではなく、やりたいことをやる方法の一つであると捉えること。
彼女が退去するにあたって島民へ残してくれたメッセージ
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ここを出ようと決めた時、
今度は私が誰かの#910(ここのつとお)のような存在になりたい、と思ったのです。心の拠り所
もう1つの拠点
本来の自分に還れるような
ただいま、と帰れるようなそんなあり方で生きてる私でいます。
::::::::::::::::::::::::::::::::::::
これは、その時々でベストな選択をしてきたからこそ出た言葉。
彼女は、#910(ここのつとお)での時間で、やりたい事を諦めない自分を再確認できたのだと思います。
彼女の行動は、機会を意味あるものにすることは、時間の「量」ではなく「質」で叶えられること、与えられている環境の中で使えるものを最大限使えば自己実現は可能だということを私に見せてくれました。
彼女が#910(ここのつとお)に入ろうと決めた時の「これは未来の自分への投資です」おっしゃられた言葉を今でも印象深く思い出します。
未来への投資という思いを言葉にしっかり乗せて実行したからこそ、それが実現したのだとも思います。
島民が#910(ここのつとお)を出る時を見送る時はとても嬉しい。そして、少し寂しいのであります。
おめでとう、そして、ありがとう。
行ってらっしゃい、そして、また遊びにおいで。
小笠原への唯一の移動手段である船中24時間。これが実は「価値」なのだ
小笠原での時間の豊かさについて2回に分けてお伝えしました。
最後に、父島行きで一番ネックとなっている(であろう)「24時間の航海」について
この船24時間を抜きにして小笠原への旅は語れません。
なぜなら、島への交通手段は船しかないから。
正直言って私も以前は「片道24時間かけて行く価値は一体あるのか・・・」と躊躇していました。
が、実はこの船旅こそが小笠原の魅力を倍増させる大事なエッセンスということを知りました。
何がそんなに良いのか。
1、船内24時間、案外飽きない(むしろ忙しい)
仲間とお喋りしながらお昼を食べ(飲み)、海を眺め、デッキや船室でごろごろしながら本を読んだり。
夕暮れ時になったらデッキから夕焼けを眺め、空が全て真っ暗になるまで余韻を味わって、晩ご飯。
晩ご飯が終わってしばらくしたら、再度デッキへ。
ベンチにゴロンと横になり、さながらまるでプラネタリウムのような満天の星空を見上げる。
天の川、北斗七星。蠍座、カシオペア。もちろん流れ星もたくさん。
あんな星空、普段は絶対見られないです。
眠くなったら寝る。翌朝は4時過ぎ起床で朝焼け〜日の出を拝んで。
その後は展望ラウンジで本を読みながらコーヒーやスープ(自販機)を飲んだり。
皆が起きてきたらおしゃべりして、眠くなったら二度寝する。
することが何もないようなこんな時間は、オトナになると、作りたくても作れない。
実は贅沢の極みではないかと思うのです。
2、船内むちゃくちゃ快適
今回、私たちは2等寝台を選びました。
これは、2段ベッドが並び、4人一つのコンパートメントスタイル。一人一人カーテンで仕切りがあるので、個室感は十分あります。
枕元にコンセントとライト。枕・掛け布団あり。
当然ですがベッドはフルフラット。
(これ、よく考えてみてくださいね。飛行機でフルフラットって言ったらビジネスクラス以上のランクですw)
お手洗いと洗面所は別に設備され、さらにはシャワールームもあります。
シャンプーその他ドライヤーも完備。
どこも清潔。(混んでない)
このシャワールームのおかげで、海風でべとべとになった髪も身体もストレスフリーにシャワー浴びられます。(しかも何回でも)
ショップ(コンビニ)、レストラン、ラウンジ(喫茶)、自販機と調理可能(給湯など)、キッズルーム、ミニサロン
人が集まれる様な椅子やテーブルを用意したスペースも至る所にあるので、交流がほどよく可能な仕掛けあるのです。
個人差あるとは思いますが、個人的に、不自由は何も感じませんでしたね。
3、船内はほぼ電波圏外
竹芝出航してから3時間ほどで携帯は圏外に。
ここからのデジタルデトックスが実はとても良いのです。
普段、意識しないで携帯やPCを立ち上げている自分。
実はこの「どこでも繋がることができる」環境が、いかに自分からいつの間にか「何か」を奪ってしまっていることか。
電波が入らない時間の中で自分がする事(寝る、食べる、本を読む、おしゃべりする・・・)は、自分の意志で選び取る時間なんですね。
「いつの間にか奪われてしまっている」時間があるという感覚にリアルに気がつくことが出来たのは良かったと思っています。
4、小笠原に近づいて来た時の海の色
徐々に近づいてくる島の影。
海の色が、見た事のない様な深い群青色なんですよ。
これは感動します。
5、父島を出発する時のお見送りが心に響く
島でお世話になった方達(ホテルのスタッフやツアーガイドさんたち)がお見送りに来てくれるんですね。
無事の帰路を祈って太鼓の演奏もあります。
みんなの声は「いってらっしゃい」なんです。
見送りのための船が最後までたくさん並走してくれて、飛び込みジャンプのアトラクションのサービスまで。
これが、すごくて楽しいんだけど、同時にとても切ないんです。
島での時間や素晴らしかった思い出も全部思い返されて、つい涙ぐんじゃいました。
6、とは言え、小笠原へは「覚悟」がないと行く事ができない
覚悟と言うと大げさだけど、ある意味ほんとに「覚悟」がピッタリくる気がします。
だって、小笠原に行くとすると、片道24時間と現地停泊時間あわせて最低6日間の休暇が必要なんです。
そこに加えて更に必要な「覚悟」とは、小笠原との交通手段は船のみということ。
台風などの気象条件によって、万一帰路便が欠航になったら島に缶詰になります。汗。
結局、仕事やスケジュールに問題ない人でないと行けないということです。
(もちろん、気象条件で東京→父島便自体欠航になることもありますし、その場合は楽しみにしていた気持ちをどうしたら良いのか、、、ですよね)
ですが、だからこそ!
船の中は、「そんな小笠原へやっぱり行くよね!」的な旅行者たちの仲間感がスパイスされた「一体感」がゆるやかに漂っているとも感じます(私見満載)
・・・とまぁ、船旅の特徴を挙げましたが、とにかく、これは飛行機や電車移動の24時間とは全く別もの。
船旅はすでに「小笠原旅」の大事な一部。決してムダな時間ではないのです。
むしろ、この24時間は、島時間に自分を丁寧に慣らしていくためのウォーミングアップ・島から都会に徐々に戻っていくための大事なクールダウンの時間なのだと感じました。
小笠原が好きになる人は、この船時間を含めた全部が好きなんじゃないかと、今となっては思っています。
24時間の船がなぁ・・・って思ってる皆さん、それ、ホントとんでもない勘違い!勝手な思い込みですよ!
この船旅があるからこそ、小笠原は楽しいのだ。
※小笠原観光局職員による船旅実態調査記事として合わせてどうぞ
死ぬまでに必ず経験してほしい小笠原イルカとの一体感
前回、小笠原を包む360度の地球感についてブログに書きましたが、小笠原と言って外せないのが、ドルフィンスイム。
今回私が小笠原に行った最大の目的も「海の中の野生のイルカと一緒に泳ぐこと」ことなのでありました。
これは、私が死ぬまでにやりたい事に長年トップリスト入りしていたテーマでしたが、今回、やっとその願いが叶い感無量。感涙。
そして、改めて「イルカってすごい」と感じたわけであります!
イルカたちの自由な動き。
水面に上がってくる時、あっという間に深く海底の方へ潜っていく時の、無駄のない動き。
個々には自由、同時に皆で調和がとれている、あの一体感。
同じ様なまとまりで泳いでいる時も、好きな様に動いている時も、全体で一つの、まとまりのある美しい踊りを見ているようで。
印象に残っている事の一つが、イルカとのアイコンタクト。
海の中、興奮してバタバタしている私をまっすぐそのまま受け入れてくれた感じ。
良いとか悪いとかの判断がない、とっても優しい目(感激)
イルカにはテレパシーが通じると聞いたことがあるけど、手が届くようなすぐ目の前でクルクル回ってくれたのは、私たちの感動と興奮がそのまま伝わり若いイルカが一緒に(サービスで)喜んでくれたのだと良い様に解釈してますw
思い出して今も嬉しくなるこの体験は、
私にとっては、自由なイルカの波動とつながれたこと。
そして改めて心に強く思ったこと。
いつ終わるとも分からないこの人生、2度とない人生だからこそ
「本当にやりたいと思っている事」は躊躇せず、まっすぐにやっていこう、
ということ。
正直な自分の気持ちを大切に、自分自身が喜びの源泉となって、
周りの人にハッピーやポジティブ、希望を与える人になりたいと思いました。
今回、実は一回目のドルフィンツアーではイルカに会えなかったんです。
でも。やっぱりどうしても、あの小笠原の海でイルカに会いたくて、出発日出航前までの午前中を使って再チャレンジ。
逆転ホームランで会えました。
「また会えなかったら・・・」の不安から
「わーーーーーー!!!すごい!!!」の感動とコーフンへ移り変わるまでの心の揺れは、今思い出してもドラマのようであります。
いろいろある方が感動は大きい。
旅はドラマだ。
人生もドラマだ。
前回のブログ、小笠原を包む360度の地球感についてはコチラをどうぞ
360度の宇宙感を体感したい人に薦めたい 小笠原の空と海
この夏、かねてから訪れてみたいと思っていた小笠原を訪れることが出来ました。
湘南地方が好きな人たちの多くは「島好き」なのではないかと勝手に思っておりますが、「島」に流れる独特の空気感が湘南地方の独特なユルさと同系なんですよね。
それで、小笠原が想像以上に素晴らしいところで帰ってしばらく経った今も、島時間を何度となく思い出しては余韻に浸っております。
というわけで、改めてここのつ視点で振り返った小笠原再考など。
空とお日様、宇宙感が良い
何と言っても、360度に広がって感じられる地球感、宇宙感が思い出深くて。
一日を穏やかな気持ちに包み込んでくれる夕日
宇宙エネルギーにあふれんばかりの力強い朝日
天の川、流れ星、リアルプラネタリウムな星空
周囲360度に囲まれる多様に変化する空の姿
それら全部のスケール感
その空を眺めている時に感じる時間の豊かさ
※最後の星空写真は、知り合いの写真家Ken Inoueさんの小笠原星空写真から頂きました
小笠原は自然の他には何もないから、、、とも言われるけど、豊かな時間を過ごせるここにはたくさんの何かがある。
何もないところにこそ、たくさんの何かがあると、改めて感じられる場所。
坂村真民さんの詩「二度とない人生だから」が、そのまま感じられる場所。
「二度とない人生だから」 坂村真民
二度とない人生だから
のぼる日しずむ日
まるい月かけてゆく月
四季それぞれの
星々の光にふれて
わがこころを
あらいきよめてゆこう
「あらいきよめ」ることができる場所が、小笠原にはあるのではないかと思うのであります。
東逗子シェアハウス#910(ここのつ島)名物「自治会」で感じて欲しい事
東逗子に#910(ここのつ島)と呼ぶ一軒家をシェアハウスとして開放し始めたのは去年の6月。
私が考える「シェアする場所って、こんな在り方が理想かなぁ」を手探りでひとつひとつ丁寧にカタチにしてきました。そして、約1年経って何となく見えて来たものがあります。
「シェアハウス」と言っても、存在するシェアハウスの数だけスタイルがあると思いますが、#910(ここのつ島)の特徴の一つは、オーナーである私たちが半居住しているところかもしれません。
といいますか。。。。
そもそも#910(ここのつ島)は、この土地にご縁を頂いて家を建てることになった私が、もっと多くの人とここを分かち合いながら暮らす方が人生の後半がオモシロ楽しくなるんじゃないかと思ったのがコトの始まり。
そして、単なる「シェア」を超え、暮らし合う人と「拡大家族」としてゆるく繋がり合いたいという想いから始まったこと。
なので、私たちが住んでいなかったら、それはそもそも#910(ここのつ島)にはならないのでしたw
半同居、というのは、まだ私の子どもたちが東京の自宅に暮らして通学している事もあり、東京の自宅と#910(ここのつ島)の行ったり来たりを今も続けているから。
二拠点生活もすっかり板につきました。
便利も不便も全て受け入れて、この生活をまるごと楽しんでいます。
さて、この#910(ここのつ島)に住む島民について。
かつての島民(住人)が、この場を「珍獣揃い」と表現した通り(笑)、バリエーションは豊か。とは言え、どこかに統一感がある珍獣たち、そんなイメージw
さて、そんな珍獣たちをどうまとめていくか。
正直、「まとめる」つもりは最初からないのですが、とは言え、せっかくここで巡り合ったご縁を大事に育てるために行っている事があります。
それは、#910(ここのつ島)名物とも言わる「自治会」、住人が月に一度集まる会。
自治会参加は強制ではないものの、いろいろなことを共有する大事な時間として設けている気持ちが伝わっているのか、皆さん、優先順位高く参加して下さっていると感じています。
話は少し逸れますが、#910(ここのつ島)にはシェアハウスに付き物の「お掃除当番」がありません。
私たちと同様に、ここを二拠点生活の一拠点としている方も多く(二拠点生活を実現しやすくするためのプランもあるので)「当番制」自体がそもそもムリ。かと言って、外部に清掃を依頼するのも違和感がある。
なので、「使ったその場をキレイにすることを基本としつつ、いつも誰かが自分の知らない所でいろいろな事をやってくれていることを心に置き、出来る人が出来る時に出来るだけ掃除すること」をモットーにして当番制はナシにしています。
ただ、月イチでも全員で大掃除をしたら気持ち良いのでは?という島民の提案で、自治会の時間の30分を使って皆で大掃除をする様になりました。そうしたら、これまで以上にさらに「良い気」が流れる様!!
ちなみに前月の自治会参加者は、珍しく男子オンリー。
窓ふきから床掃除などもゴシゴシ力強くやってくれて助かった!
いやーーー、男子って力強い。
おまけに、何も言わなくても自分の持ち分見つけて掃除始める男子ばかり。
実に頼もしい。
お掃除は、
自分たちが暮らす場を全員で整える事で、その場を大事にする感覚がより自然に芽生えたら、という気持ち。
自治会は、
910で共に暮らし、日常の小さなことを共有する関係の中で、大人である私たちが小さなことでも認め合う関係をつくることや、互いに受け入れ合う拡大家族というヨコの繋がりを強められたらという想いが根っこにあります。
情報共有の後は、最近どんな事を考えているのか、という大きなテーマでのフリートークシェア会。
風が通るデッキでビールを飲みながら、またはリビングでご飯を共にしながらの共有会は気持ちよくて美味しいだけでなく、普段の関係性のおかげもあって自然と自己開示・開放した時間になり、シェアがとても豊かで濃いのです。
心が互いに深い所で繋がり合い、逗子の自然とも繋がる時間となるのです。
以前、「自立とは、依存先を増やすこと」という記事を読みましたが、ここのつ島のシェア会が自己開放できる場になっているのは、安心した信頼関係が根底にあることと同時に、お互いに利害関係が絡んでいなく、良い意味で直接的な関係性がないおかげだと思っています。
例えばもし、相手の悩みの原因と自分の利害が絡んでいる時には、いろいろな想いが心中に錯綜して穏やかにその人の話を聞いていることは難しいですよね。
当然、話をする方も遠慮が出て来て本音を開示する事は簡単ではなくなります。
公平な立場で自分を開示・シェアできる場(コミュニティ)をどれだけ多く持てるか。
改めて、深い所での繋がりを感じながら複数のコミュニティとゆるく繋がることが「依存先を増やす」ことへの実践に繋がるのではないかと感じています。
自分を認めて、相手を認める。
自分で自分を育てる。
まさに「自らを治める会」としての「自治会」。
これがあるからこそ、「珍獣たち」も仲良くお互いを受け入れ合い、認め合って暮らしているのかなと思っています。
こちらは自治会の後のシェアご飯会。みんなが適当にそれぞれ料理を持ち寄ります。
これも、出来る人が出来る時に出来るだけ。無理ない事が続くこと。
新島民もウエルカムです。
気になる方はコチラからご連絡ください。
↓
イートイン・海辺へテイクアウト どちらも幸せな逗子アミーゴマーケットのデリ
逗子の海岸線から山側へ入った小路にあるシネマアミーゴは逗子の小さな映画館。
何度も繰り返し見たいと思う映画がいつも上映されているのですが、この場所のおかげで逗子に独特な個性が添えられていると感じる不思議な場所。
そして、このシネマアミーゴの隣にあるのが今回ご紹介する「アミーゴマーケット」
美味しいデリ、そして日用品やアクセサリーなどを置いているセレクトショップでもあります。
この一角、このたたずまい。
ちょっとフランスやイタリアの田舎の様な雰囲気がありますよね。
(って、かなり大雑把な個人的な印象ですがw)
アミーゴマーケットの店内は、テーブルが3つほどとカウンター席のごくこじんまりした造り。
この日(2017年6月中旬)の日替わりメニューはこちらということで、
私が今回頼んだのは、神山鶏のクリームチーズのサンド。
そこに、デリで販売しているプリンチピのオーガニック野菜のフォカッチャをプラス。
頂くのは店内カウンター席にしようかと一瞬悩んだけれど、すぐに外のテーブル席に移動。
だって、こんな可愛いお花が添えてあって。
このお花の雰囲気、どこか逗子花火を思い出させるなー。
例えばこんな?
サンドはグリルしたズッキーニの歯ごたえも心地よい。
あっさりした鶏の胸肉とクリームチーズの淡白な味わいにミントがさっぱりとしたアクセントを添えています。
ちなみに、カフェは地元湘南からの珈琲や薬膳茶のラインナップが大半。
そしてもう一つ宣伝すると。。。
プラスで添えたオーガニック野菜のフォカッチャを提供しているprincipi(プリンチピ)。
もっちりした生地と美味しいお塩がところどころに程よく効いていてとても美味しいのですが、実はこのフォカッチャやマラサダを作っているのは、私の子どもの幼稚園時代のママ友なんです!!
よく一緒に遊んでいたのですが、子どもたちが小学校低学年の頃に、ご主人の仕事の関係で彼女は家族で逗子に移住。
彼女は逗子に移住してからも、好きで得意で人が喜んでくれること=パン作りにどんどん本領を発揮。
今や逗子を代表するカフェに日替わりでパンを提供し、自宅でもお教室を開くと言う活躍ぶりなんです。
プリンチピのFacebookページはコチラ
↓
私たちはと言えば、しばらく交流が途切れたままだったのに、今回私も逗子に拠点を持つ様になって再び繋がったと言うご縁。
ご縁というのは、切れたようで切れていないんですよね。
反対に、繋がっているように見えてもホントのところ、何が起こるかわからない。
つまり、現時点の状況だけで判断して決めつけてしまうことって、あんまり意味がないんだよなぁって感じます。
【アミーゴマーケット】
■住所:逗子市新宿1-5-14 (CINEMA AMIGO となり)
■電話&FAX: 046.876.8588
■営業時間:11:00-20:00
■定休日 : 月曜日
【シネマアミーゴ】
■電話&FAX: 046.876.5643
■連絡先:info@cinema-amigo.com
亡き父から50回目のお誕生日に素晴らしいGIFTが届いた件
ヒジョーにワタクシゴトながら、先日、無事に50回目のお誕生を迎える事が出来ました。ここまで来れたのも皆様のおかげ。
「感謝」のひと言に尽きると言うもの。
本当にありがとうございます。
さすがに「生誕半世紀」ともなると、思いがけず多くの方からメッセージを頂いたのですが、中でも、これから後半の人生を生きるにあたってとても大事なギフトを、今は亡き父から頂いたと感じているので(自分の備忘録としても)ここでシェアしたく。
そうは言っても、このギフトから私が感じたメッセージが何かどなたかに伝われば良いなと思っています。
先日、撮り溜めてあったmini-DVテープなどを、テープが劣化して見れなくなってしまう前にと、一斉にDVD変換したんです。
そこには、ランダムに10年〜20年ほど前の子どもたちの可愛らしい姿が残っており、大変癒されるのですが。
私の誕生日前日のこと、それを見ながらお昼を食べようとふと思い立ち、手に取って再生したDVDが、たまたま、現在21歳の息子・航太朗が誕生した直後の病院での録画ビデオでした。
産後すぐの息子が助産婦さんに抱かれてちらっと姿を見せ、すぐまた産室の方へ戻ってしまうのですが、この世に産まれたばかりの息子にビデオで再会できたのは感慨深かったですが、何より驚いたのはその後。
私がいる分娩室へオットが一人で入室するため、ビデオカメラを控室に残る母に預けたのですが、どうやら録画ボタンを停止しなかったのです。
陣痛中付き添ってくれた母、産まれると聞いて急いで駆けつけた父と兄。
3人の何気ない会話が録音される事、延々約40分。
内容はほとんど同じ事の繰り返し。つまり、
・良かった良かった。母子ともに元気で良かった、という安心から出る言葉。
・生まれたての赤ちゃんは普通サルみたいなものだけど、可愛い顔だったなぁ。あんな赤ちゃんは見た事ないぞという「うちの孫一番可愛い」の言葉。
・お産の進行、陣痛の様子はどうだったのか、何時間かかったのか、というお産について確認する言葉。
3人ともこの世に産まれたばかりの命の誕生に興奮・安心していて。
父の愛、兄の優しさ、母の安堵感がそこかしこから伝わってきて。
映像は天井やらソファを写すピンぼけのまま、ボタンがONと知らず繰り返されるそのやりとりが、50を迎えようとしている私に、すごくすごく温かく、本当に胸にしみました。
多くの家庭が何らかの問題を抱えるように、言うまでもなく私の家も父と母の不仲や経済的な苦労、いろいろな葛藤がありました。
私は、感情を変にこじらせたせいで、長く父を認められなかったし、父と母の不仲も子ども心に辛いものだったと思ってた。
でも、その何気ないやりとりの会話を聞いて、全く違う感情が湧いて来たんです。
それは最近私がテーマとしている事。
つまり、全ての人が、それぞれ「良かれ」と思って行動している。
幸せになりたいという想いは同じ。
ただ、方向性はそれぞれだし、それぞれにそれぞれの「正義」があるということ。
全ての行動は、本来は愛そのものから為されるもの。
言えるとしたら、その「愛」の出方が、それぞれの生まれ持つ性質や育った環境で異なるというだけのこと。
人は感動するとすっと素直になるものだけれど、命の誕生に感動した母・父・兄が互いにとてもフラットな会話を続けていて。母と父が、普段のぶっきらぼうな関係ではない、素直な根っこで繋がり合っていた。
命の連鎖の底に流れる愛の存在が、そこには感じられた。
そして、改めて、もう少し昔に想いを馳せてみると、父や母も、父や母が産まれた時は、同じ様にその祖父祖母たちに祝福されていただろうな、とか・・・。
そんないろんなメッセージが、私の50歳の誕生日というタイミングに、放置してあった息子の誕生DVDに録音されていた両親や兄の会話からど真中に伝わって来て。
すでにこの世に存在しない父だけど、こんな気づきに導いてくれる最大のGIFTを送ってくれました。
やっぱ、人間って、死んじゃった後の方が影響力大きいんだよねぇ。
ありがとう。
わたし、産まれて来て、ほんとに良かったよ。
50年前のワタシ。今と全く変わらないと言われたけど、それ、喜んでいいんだよね?w
↓ ↓ ↓
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